上陸作戦の立案過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 04:56 UTC 版)
「ドラグーン作戦」の記事における「上陸作戦の立案過程」の解説
フランス北部へのノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)を支援する目的で、南フランスへの上陸作戦も1943年中に検討が進み、11月のテヘラン会談で承認されていた。 しかし、ノルマンディー上陸作戦の準備だけでなく、連合軍はイタリア半島(イタリア戦線参照)でも上陸作戦を行っており、実施するだけの船舶・部隊の確保がおぼつかない状況であった。 1944年1月、アイゼンハワーは6月中の実施を表明したが、ソ連の意図に疑念を持つチャーチルはバルカン半島の英米による奪還が先決であることを主張、南フランスでの作戦は撤回すべきとした。これに対し、この作戦はスターリンと既に交わしてある約束であるとするフランクリン・ルーズベルトは、チャーチルの主張の受け入れを拒否、8月15日に作戦を開始することを決定した。 作戦名は当初アンヴィル (Anvil) 作戦であったが、途中からドラグーン作戦に改名された。
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