上陸作戦計画(1940年9月)
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「アシカ作戦」の記事における「上陸作戦計画(1940年9月)」の解説
作戦の実施想定時期は、9月の中頃。上陸作戦第一日をSデーとする。上陸船団の航路をイギリス水上部隊の介入から防衛するために、事前に防御用機雷帯の設置が必要で、このために、S-10デーに、作戦の実施を決定する必要がある。 第一波の上陸部隊は、Sデーの早朝に以下の地点に上陸する。 上陸地点B フォークストンの西XIII軍団(第17、第35歩兵師団) 第7航空師団の空挺降下 上陸地点C ライ、ヘイスティングスの東VII軍団(第7歩兵師団、第1山岳兵師団) 上陸地点D ベクスヒル=オン=シー、イーストボーンXXXVIII軍団(第26, 第34歩兵師団) 上陸地点E ブライトンVIII軍団(第8, 第28歩兵師団、第6山岳兵師団) 第二波には、4個装甲師団(4,7,8,10),2個自動車化歩兵師団(20,29),2個歩兵師団(12,30),グロスドイッチュランド自動車化歩兵連隊、LSSAH師団(旅団規模)が含まれていた。第三波には、6個歩兵師団(15,24,45,58,78,164)が含まれていた。 上陸地点BとCは、第16軍(エルンスト・ブッシュ上級大将)の管轄で、ロッテルダム、アントワープ、オーステンデ、ダンケルク、カレーから進発。上陸地点DとEは、第9軍(アドルフ・シュトラウス上級大将)の管轄で、ブローニュ=シュル=メール、ル・アーヴル、シェルブールから進発。 空軍は、Sデーに上陸地点での制空と、英海軍による妨害への対処が任務とされた。海軍は、事前に航路の掃海と防御用機雷帯の設置。Sデーは上陸部隊の輸送と保護。また、S-3デー前後に、各種の牽制作戦も計画された。 1944年の連合軍のノルマンディー侵攻でも、補給港(シェルブール港)の確保が問題となったが、陸軍は、港湾施設の大きなラムズゲートやドーバーなどへの直接上陸を望んでいたが、海軍の反対で計画からは落とされた。選定された上陸地点のうちのフォークストンには港はあったが、小規模なもので、大軍の補給には不十分だった。 第二波の上陸には、第一波の上陸に使った貨物船、改造はしけ、タグボート、護衛艦艇が必要で、おそらく修理なども必要で、海軍の予想では、10日後に、より少ない規模での上陸が可能というものであった。 陸軍首脳は、狭い上陸地点正面でイギリス軍に封じ込まれる可能性、補給に使える大規模港湾がすぐに占領できない可能性が高いこと、英海軍の妨害を排除できるのか、など重大な懸念が解消されずに残り、この作戦案には確信を持てなかった。
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