上陸作戦計画とは? わかりやすく解説

上陸作戦計画(1940年9月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 06:51 UTC 版)

アシカ作戦」の記事における「上陸作戦計画(1940年9月)」の解説

作戦の実施想定時期は、9月中頃上陸作戦第一日をSデーとする。上陸船団航路イギリス水上部隊介入から防衛するために、事前に防御機雷帯の設置が必要で、このために、S-10デーに、作戦の実施決定する必要がある第一波の上部隊は、Sデー早朝に以下の地点上陸する上陸地点B フォークストンの西XIII軍団(第17、第35歩兵師団) 第7航空師団空挺降下 上陸地点C ライヘイスティングスの東VII軍団(第7歩兵師団、第1山岳兵師団) 上陸地点D ベクスヒル=オン=シーイーストボーンXXXVIII軍団(第26, 第34歩兵師団) 上陸地点E ブライトンVIII軍団(第8, 第28歩兵師団、第6山岳兵師団) 第二波には、4個装甲師団(4,7,8,10),2個自動車化歩兵師団(20,29),2個歩兵師団(12,30),グロスドイッチュランド自動車化歩兵連隊LSSAH師団旅団規模)が含まれていた。第三波には、6個歩兵師団(15,24,45,58,78,164)が含まれていた。 上陸地点BとCは、第16軍(エルンスト・ブッシュ上級大将)の管轄で、ロッテルダムアントワープオーステンデダンケルクカレーから進発上陸地点DとEは、第9軍(アドルフ・シュトラウス上級大将)の管轄で、ブローニュ=シュル=メールル・アーヴルシェルブールから進発空軍は、Sデー上陸地点での制空と、英海軍による妨害への対処任務とされた。海軍は、事前に航路掃海防御機雷帯の設置。Sデー上陸部隊輸送保護また、S-3デー前後に、各種牽制作戦計画された。 1944年連合軍ノルマンディー侵攻でも、補給港(シェルブール港)の確保問題となったが、陸軍は、港湾施設大きなラムズゲートドーバーなどへの直接上陸望んでいたが、海軍反対計画からは落とされた。選定され上陸地点のうちのフォークストンには港はあったが、小規模なもので、大軍補給には不十分だった第二波の上陸には、第一波の上陸に使った貨物船改造はしけ、タグボート護衛艦艇が必要で、おそらく修理なども必要で、海軍予想では、10日後に、より少な規模の上陸が可能というものであった陸軍首脳は、狭い上陸地点正面イギリス軍封じ込まれる可能性補給使える大規模港湾がすぐに占領できない可能性が高いこと、英海軍妨害排除できるのか、など重大な懸念解消されずに残り、この作戦案には確信持てなかった。

※この「上陸作戦計画(1940年9月)」の解説は、「アシカ作戦」の解説の一部です。
「上陸作戦計画(1940年9月)」を含む「アシカ作戦」の記事については、「アシカ作戦」の概要を参照ください。

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