極秘外交文書の破棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:29 UTC 版)
「カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「極秘外交文書の破棄」の解説
1775年、またしてもボーマルシェは王の密命を受けて活動しなければならなくなった。デオン・ド・ボーモンという男が、外交上の書類、故ルイ15世の書簡を有していることが判明したためである。この男が持っていた文書の中には、ルイ15世が密かに計画していたイギリス上陸作戦計画書もあったらしく、フランス政府としては絶対にこれらの文書を流出させるわけにはいかなかった。 デオン・ド・ボーモンという男は、1728年生まれで、士爵の称号を持っていた。若い時から女性と間違えられるような美貌の持ち主であったらしく、ルイ15世の命令で女装してロシア宮廷に仕え、エカチェリーナ2世の語学教師を務めたという。1763年にはイギリスで特命全権公使として国王の密命を帯びて工作を行ったが、当時のイギリス駐在フランス大使ゲルシー伯爵と激しく対立し、彼を失脚させる原因を作った。ゲルシー親子の恨みを買ったため、デオンも特命全権公使の地位を剥奪されたが、国王は彼の能力を高く評価していたため、年金を与えてそのままイギリスに滞在させていたのであった。この頃から常に女装し始めたらしく、その変装は、彼の性別が賭けの対象となるほど完璧なものであったという。 ボーマルシェは1775年4月末、一時的にロンドンに滞在していた。デオンはこの情報を掴み、ボーマルシェに接触して、すでに受けている年金に加えて30万リーヴルを要求する意志があることを告げた。デオンは、ボーマルシェが女性に優しいこころを持っていることを看破していたようで、そこにつけ込むことに見事に成功した。ボーマルシェは、内務大臣に昇進していたサルティーヌにデオンの要求を伝え、サルティーヌは外務大臣ヴェルジェンヌに話を通して、ボーマルシェ宛に交渉依頼状を送付した。これが正式な交渉となるのは、8月末のことであった。 デオンはそれまでのモランドやアンジェルッチとは違って、かつては特命全権公使を務めた貴族であるから、ボーマルシェは特に注意深く彼を扱った。金銭条件は当然として、特にデオンが拘ったのはフランスへの安全な帰国であった。デオンは、ゲルシー親子と対立した結果始まったイギリス滞在にうんざりしており、国王の帰国許可と身の安全保証を要求したのだった。このことを知らされた外務大臣は、ゲルシー親子の恨みの深さを理由に難色を示したが、「デオンが女装する条件で」帰国を容認すると返答してきた。ボーマルシェはこの奇策に乗っかって交渉を行い、11月4日、正式にデオンとの合意に至った。その合意では、デオンに「所有する書類の全ての引き渡し、ゲルシー親子への法的追及の放棄、女装の徹底」を約束させる代わりに「12000リーヴルの終身年金とロンドンでの負債の会計監査」を約束している。この奇妙な合意は、12月になってルイ16世の承認を受けて正式に発効された。合意成立後、ボーマルシェがデオンを一貫して女性として扱っていることから、デオンを本当に女性であると思っていたとか、デオンと関係を持ったとか推測する者もいるが、1775年にデオンはすでに47歳であり、いくら昔はとびきりの美貌を持っていたとはいっても、現実的な考えであるとは言えないだろう。このデオンとの交渉を最後にボーマルシェは王の私設外交官という役目から解放された。
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