極秘任務、そして沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 00:46 UTC 版)
「インディアナポリス (重巡洋艦)」の記事における「極秘任務、そして沈没」の解説
修理後インディアナポリスは、後に広島と長崎へ投下されることとなる原子爆弾用の部品と核材料を急ぎテニアン島へ運ぶよう命じられた。任務の緊急性から修理後の調整期間に先立って7月16日サンフランシスコを出港し7月19日に真珠湾に寄港した。インディアナポリスは単独でテニアンに向かい7月26日テニアンに到着した。 テニアンに最高機密の荷物を届けた後、インディアナポリスはグアムに派遣され7月28日レイテ島へ向け艦隊ではなく単独でグアムを出港し、直線コースを取りレイテ島へ向かった。7月30日0時15分、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯12度02分 東経134度48分 / 北緯12.033度 東経134.800度 / 12.033; 134.800の地点で日本海軍の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊、艦長:橋本以行少佐)が、九五式魚雷を 初回発射3本、数秒おいて2回目発射3本の計6本を全門発射したうちの3本が右舷に命中、船体を鋭く貫いた魚雷が爆発。特に時差発射した2回目の魚雷が、1発目が船体に開けた穴に入り込み奥で爆発、艦内第二砲塔下部弾薬庫の主砲弾を命中と同時に誘爆させ、同艦は夜空に大きく火柱を吹き上げると、艦前半部を海に突っ込みながらしばらく浮いていたが、12分後に転覆、沈没した。米軍関係の記録や話では、破孔が2つだったため命中2発としているが、生存した乗組員の間でも、また伊58の記録でも、魚雷爆発音(こもったような振動するような短い音)は3回とされている。 乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は8月2日に哨戒機によって初めて発見されてから5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、気力の消耗などで多数の乗組員が死亡した。それに加えサメによる襲撃が心理的圧迫を強くした。その後映画およびディスカバリーチャンネルの番組等で、サメの襲撃が演出として過剰に語られたため、大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているが、おもな原因は救助の遅れと体力の消耗が死亡の原因といわれている。最終的に救助された生存者はわずか316名であった。 哨戒機の報告を受け、PBY カタリナ飛行艇を皮切りに、飛行機や高速艦艇が次々と救助に派遣されていった。飛行艇は56名の生存者を救助し、高速艦艇も護衛駆逐艦セシル・J・ドイル(USS Cecil J. Doyle, DE-368)をはじめ駆逐艦ヘルム(USS Helm, DD-388)、マディソン(USS Madison, DD-425)、ラルフ・タルボット(USS Ralph Talbot, DD-390)、護衛駆逐艦デュフィルホー(USS Dufilho, DE-423)、高速輸送艦バセット(USS Bassett, APD-73)およびリングネス(USS Ringness, DE-590)らも駆けつけた。飛行機はパラシュートで当面の食糧や浮く物を投下した。この頃までには、件の一方の当事者である伊58の方でも、アメリカ側が大騒ぎしていることを間接的に知ることとなった。大和田通信所からの無線情報で重要艦船の遭難と、その救助に関する通信が多くなっているという情報を受けたからである。
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