極秘命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:44 UTC 版)
「ベアテ・シロタ・ゴードン」の記事における「極秘命令」の解説
ダグラス・マッカーサー元帥の率いるGHQ民政局で、ベアテは政党課に配属され、女性団体やミニ政党、女性運動家などを調査する公職追放担当の調査専門官となる。待遇は日本に帰国する直前まで勤めていたタイム誌とは雲泥の差で、一人前のスタッフとして扱われたため、仕事に没頭できたと本人は回顧している。 1946年2月4日、ベアテら民政局行政部スタッフ25人はコートニー・ホイットニー民政局長に召集され、GHQによるモデル憲法草案起草の極秘命令を受ける。ベアテは通訳や秘書でなく正規スタッフとしてメンバーに入ったことに「意外だった」「急にいわれて、最初の五分間は何がなんだか分からず、ただびっくりしていた」 という。ちなみに後に彼女の夫となるジョセフ・ゴードン中尉は通訳担当だった。 草案作成の命令を受けた後にベアテが最初にとった行動は、都内の図書館に出かけて各国の憲法について書かれた資料を借り出すことだった。流暢な日本語とタイム誌で培われたリサーチャーとしての能力がここで威力を発揮し、ベアテが収集した大量の資料は他の草案作成のメンバーにも重宝がられ、わずか22歳のベアテの名は民政局内で有名になった。 3名で構成された人権小委員会でベアテが担当したのは、社会保障と女性の権利についての条項であった。とりわけ「女性の権利」については、当時の世界の憲法において最先端ともいえる内容の人権保護規定をベアテが書いた。アメリカ合衆国憲法には、60年経過した現在も「両性の本質的平等」にあたる規定が存在せず、彼女の草案が画期的であり、見方を変えれば急進的であったことがうかがえる。
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