多聞隊・インディアナポリス撃沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:41 UTC 版)
「伊号第五十八潜水艦」の記事における「多聞隊・インディアナポリス撃沈」の解説
「橋本以行」も参照 「チャールズ・B・マクベイ3世」も参照 「インディアナポリス (重巡洋艦)#極秘任務、そして沈没」も参照 7月16日、伊58は多聞隊の一艦として呉を出撃。平生に寄港して回天を搭載し、「非理法権天」と「宇佐八幡大武神」の幟を掲げ、7月17日に沖縄、レイテ湾、マリアナ諸島を結ぶ海域に向かったが、豊後水道で訓練中に1基の回天の特眼鏡(潜望鏡)に異常が見られたため平生に引き返し、交換の上7月18日に改めて出撃した。 7月28日、グアムとレイテ湾を結ぶ航路に出た伊58は、パラオ北方300浬地点付近で輸送船と駆逐艦を発見。魚雷戦と回天発進両方の準備を行ったが、目標までの距離が遠かったため回天のみの攻撃に決した。2番艇の小森一之 一飛曹(甲飛13期)艇と1番艇の伴修二中尉(兵科3期)艇を発進させ、やがて爆発音が聞こえたものの、雨のため何も見えなかった。この頃、駆逐艦の護衛を受けて航行中の米C2-S-B1型戦時標準船のワイルド・ハンター(Wild Hunter、6,214トン)は1620に潜望鏡を発見し、これに向かって砲座から砲撃を行った結果、潜望鏡は見えなくなった。 7月29日2305、伊58は.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯12度02分 東経134度48分 / 北緯12.033度 東経134.800度 / 12.033; 134.800のパラオ北方250浬地点付近で、浮上して電探使用中、右舷真横約10kmの位置にテニアン島に原子爆弾を搬送し帰路に着いていた重巡洋艦インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35) を電探により発見。橋本艦長はインディアナポリスをアイダホ型戦艦と識別し、12ノットで直進していると判断した。 橋本艦長は潜航し、魚雷戦と6番艇の白木一郎 一飛曹(甲飛13期)艇と5番艇の中井昭 一飛曹(甲飛13期)艇の発進準備を行った。しかし、回天の短い特眼鏡では闇夜でインディアナポリスを発見するのは難しいと判断し、まず魚雷攻撃をすることにした。その時、インディアナポリスが左に舵をきったため、伊58は右に舵をきって攻撃位置についた。2326、伊58はインディアナポリスの右舷側60度、約1500mに位置し、3門ずつ、2秒の間隔をあけて魚雷6本を発射。魚雷は3本がインディアナポリスに命中し、1本目がインディアナポリスの1番砲塔直下に命中。2本目が1本目の爆発で空いた穴に命中、3本目は艦橋付近の2番砲塔後部に命中した。この衝撃でインディアナポリスは2番砲塔の弾薬庫が誘爆。インディアナポリスが停止し、右舷に傾斜し艦首から沈み始めたのを確認した橋本艦長は、深度30mに潜航して止めの魚雷の装填を行った。この時、白木艇からは「敵が沈まないなら出してくれ」と発進を催促していた。しかし、橋本艦長はインディアナポリスに魚雷を3本命中させた時点で、この攻撃での回天使用を止めていたのである。 翌30日0027、インディアナポリスは沈没した。30分後、魚雷の装填を終えて潜望鏡深度に戻った伊58ではあったが、観測、次いで浮上しても周囲には何も見えなかった。ここで橋本艦長はアイダホ型戦艦撃沈と判断したが、撃沈を知らせる艦内放送は通常2~3分で行われるのに対し、このときは10分程かかったため、衝撃音を感じるだけだった乗組員も相手が大型艦だと気がつき士気は高まった。しかし、これとは対照的に回天乗員は悔しがり、特に林義明 一飛曹(甲飛13期)は「戦艦の如き好目標になぜ回天を使用しなかったのか」と涙を流していた。 インディアナポリス撃沈は、日本海軍の潜水艦としては最後となる大型戦闘艦の撃沈であり、第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である。回天乗員に不満の種を残しつつ、伊58 は北上していった。8月1日から2日ごろにかけて、伊58 は大和田通信所から「敵重要艦船遭難、捜索中らしき敵信多数あり」との情報を受信した。8月7日ごろには、新聞電報によって広島市への原子爆弾投下を知ることとなった。 8月9日、伊58は輸送船団と思しき集団を発見し、橋本艦長は回天の発進を命じたが、白木艇および3番艇の林艇は故障発生のため発進できず、中井艇と4番艇の水井淑夫少尉(兵科4期)艇を発進させ、やがて爆発音が聞こえた。この回天攻撃では、護衛空母サラマウア (USS Salamaua, CVE-96) を基幹とするハンターキラー・グループの一艦として補給路の間接護衛と対潜掃討に従事していた護衛駆逐艦ジョニー・ハッチンス(英語版) (USS Johnnie Hutchins, DE-360) が、僚艦とともに爆雷攻撃と砲撃を行って、何とかしてジョニー・ハッチンスへの体当たりを試みた回天を撃沈した。8月12日、伊58は水上機母艦と思しき艦艇を発見して林艇を発進させ、潜望鏡で観測した結果、水上機母艦から大水柱が吹き上がって撃沈と判断した。 この頃、ドック型揚陸艦オーク・ヒル(英語版) (USS Oak Hill, LSD-7) は護衛駆逐艦トーマス・F・ニッケル(英語版) (USS Thomas F. Nickel, DE-587) を伴ってレイテ湾に向かっていた。伊58が林艇を発進させてからしばらくして、トーマス・F・ニッケルはオーク・ヒルに並走する魚雷を発見。この「魚雷」はトーマス・F・ニッケルの艦底をかすめ去って、しばらくたってから爆発した。
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