多聞隊の成功とは? わかりやすく解説

多聞隊の成功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)

回天」の記事における「多聞隊の成功」の解説

沖縄戦終わり敗色濃くなった1945年7月に、第6艦隊は、日本海軍作戦可能な潜水艦兵力回天作戦投入することとし伊47潜、伊53潜、伊58潜、伊363潜、伊366潜、伊367潜の6隻を出撃させた。多聞隊という部隊名は、日本本土へ侵攻対抗するべく武神多聞天から採ったものであった。 この多門隊は、海上において通商破壊任務としており、各艦は沖縄太平洋上のアメリカ軍拠点を結ぶ補給線上でアメリカ軍船団待ち構えていた。7月24日伊53潜は戦車揚陸艦7隻、輸送艦1隻と護衛護衛駆逐艦 アンダーヒル 他数隻で編成され船団発見し勝山淳中尉搭乗する回天1基を射出した。まもなく護衛艦隊回天発見し爆雷攻撃加えたが、護衛艦パニックに陥っており、射出され回天は1基だったのにも関わらず、何本も潜望鏡見え日本軍特殊潜航艇数隻が攻撃してきたと誤認したそのうち1つ潜水艇しきもの発見したアンダーヒルは、衝突してその潜水艇撃破しよう前進したが、勝山艇はアンダーヒルと衝突後に大爆発起こして、アンダーヒルはあっという間に真っ二つになり、一瞬10名の士官102名の水兵戦死した。アンダーヒルの艦体の前部はたちまち海没したが、残った後部はしばらく浮いていたため、他の艦の砲撃によって処分された。アンダーヒルの沈没は、日本軍潜水艦フィリピン沖という外洋積極的に作戦行動しているという衝撃的な情報であったが、なぜかこの情報アメリカ海軍内で共有されることはなかった。 伊53潜はそのまま回天作戦続行していたが、8月4日不意に大量爆雷攻撃受けた新兵器三式探信儀探索したところ、伊53潜が気づかないうちに半径1,000mで5隻の敵艦包囲されていることが判明した艦長大場一大佐は、30mから回天耐圧深度80mを超える100mまで艦を激しく上下させたり、艦を激しく左右に急旋回させて爆雷回避するよう命じた。しかし投下され爆雷100個以上となり、大場今まで経験したことのない窮地追い込まれた。搭載していた回天4基のうち2基も損傷により使用不能となったが、残る2基の搭乗員関豊興少尉荒川正弘一飛曹が、このままやられるよりは、乾坤一擲死中に活を求めたい出撃直訴し、大場最後望み考え出撃許可、2基の回天頭上爆雷攻撃中の敵艦突入するという困難な任務となったが、2基のうちの1基がバックレイ級護衛駆逐艦アール・V・ジョンソン (護衛駆逐艦)(英語版)の至近爆発、同艦は主機関と舵取機が損傷し戦線離脱余儀なくされ、伊53潜は窮地脱することができた。 伊58潜は広島長崎落とされ原子爆弾部分)をテニアン島まで運び1945年7月30日レイテ島単独航行中であった重巡洋艦インディアナポリス発見橋本以行艦長敵艦真っすぐ向かってきたことから、発見されたものと考え実際に発見されていなかった)、攻撃後に即潜航することが必要と考えて回天搭乗員出撃要求抑えて通常魚雷6本を発射、うち2~3本命中してこれを撃沈した伊58潜はその後もこの海域留まり回天作戦継続して、4基の回天射出していた。8月12日には、ラッデロウ級護衛駆逐艦トーマス・F・ニッケル (護衛駆逐艦)(英語版)とアシュランド級ドック型揚陸艦オーク・ヒル (LSD-7)(英語版)(橋本15,000トン級の水上機母艦誤認)の船団発見橋本残った2基のうち1基の回天明一飛曹搭乗)の射出命じた。オーク・ヒルは回天潜望鏡発見しトーマス・F・ニッケル攻撃向かったが、回天はそのトーマス・F・ニッケル側面命中した。しかし、命中した角度浅かったため信管作動せず、艇はトーマス・F・ニッケル側面をこすったのちに、同艦から25離れたところで爆発した信管起動スイッチ押して自爆したものと思われる回天慣性信管はしばし同様に命中しても、角度浅く起動しないことがあった。金剛隊攻撃損傷した輸送艦ポンタス・H・ロス同様に回天命中しながら、信管起動せずに小破止まっている。搭乗員突撃の際には安全装置外し敵艦への突入角度足りなくても突入同時に信管作動するよう自爆装置に腕をかけるなどしていたが、個々人覚悟工夫だけでは限界があった。九死に一生得たトーマス・F・ニッケルであったが、受けた衝撃大きく、なおも数基の回天が同艦を攻撃していると誤認して、2時間渡って幻の回天相手転舵回避繰り返しながら、爆雷投下し続けるという独り相撲取り続けたが、船団被害はなかった。残った1基の回天故障していたためこれが回天最後の出撃となり、故障した回天搭乗員白木一郎一飛曹は生還した多聞隊は戦果挙げながら、6隻全艦が無事帰投している。アメリカ軍多聞隊の動静出撃前から掴んでいたが、大戦末期自信過剰となっていたのか、情報の共有日常哨戒活動徹底されておらずに終戦直前手痛い損害を被ることとなった日本海軍からすれば多聞隊は1隻の潜水艦を失うことなく回天初陣となった菊水隊」を超える戦果挙げて回天作戦有終の美を飾ることができ、アメリカ軍からも、戦争終結前の日本海軍大きな成功評された。 多聞編成 部隊潜水艦出撃作戦海域搭載回天-発進状況多聞伊53潜 1945.7.14 沖縄フィリピン線上 6基-4基 多聞伊58潜 1945.7.18 沖縄パラオ線上 6基-5基 多聞伊47潜 1945.7.19 沖縄東方海域 6基-0基 多聞伊367潜 1945.7.19 沖縄グアム線上 5基-0基 多聞伊366潜 1945.7.19 沖縄グアム線上 5基-0基 多聞伊363潜 1945.8.1 沖縄日本本土線上 5基-0基

※この「多聞隊の成功」の解説は、「回天」の解説の一部です。
「多聞隊の成功」を含む「回天」の記事については、「回天」の概要を参照ください。

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