多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
多聞院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:47 UTC 版)
多聞院(たもんいん)とは三富の新田開拓を命じた川越藩主柳沢吉保が、入植した上富・中富・下富の三ヶ村に共通の菩提寺をもうけるため、「臨済宗三富山多福禅寺」(上富)にともなって中富に建立した祈願所である。「毘沙門社」(現毘沙門堂・別当寺:多聞院)と呼ばれた。三ヶ村はそれまで、上富村は地蔵院(現ふじみ野市)、中富村・下富村は西福寺(現川越市)を菩提寺としていたという。
※この「多聞院」の解説は、「上富」の解説の一部です。
「多聞院」を含む「上富」の記事については、「上富」の概要を参照ください。
多聞院(たもんいん・地図)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:18 UTC 版)
「烏山寺町」の記事における「多聞院(たもんいん・地図)」の解説
真言宗豊山派に属し、本山は長谷寺。寺号は「金剛山悲願寺多聞院」という。創建は1615年(元和元年)、旧地は甲州街道沿いの角筈(現在は新宿区西新宿一丁目)、江戸時代は護国寺の末寺であった。1945年(昭和20年)5月の大空襲で全ての堂宇を焼失し、第2次世界大戦終戦後に区画整理事業の対象となって烏山に移転してきた。所在地は北烏山4-12-1。
※この「多聞院(たもんいん・地図)」の解説は、「烏山寺町」の解説の一部です。
「多聞院(たもんいん・地図)」を含む「烏山寺町」の記事については、「烏山寺町」の概要を参照ください。
- 多聞院のページへのリンク