境内と墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:29 UTC 版)
「多聞院 (世田谷区)」の記事における「境内と墓地」の解説
境内に入ると、すぐ右手に石造涅槃図がある。高さ2メートル、横3メートルに及ぶ大きなもので、インドのデカン高原産の「シーラー」という石材を使っている。この涅槃図は壷阪寺から贈られたもので、それは多聞院の以前の住職がかつて壷阪寺の住職を務めていた縁によるという。 境内を入って左手には墓地があり、その中央奥に供養塔が建てられている。この供養塔は「五百六十八人無縁墓」と刻されていて、高さが3メートル余りに及ぶ石碑である。この石碑は、1837年(天保8年)の大飢饉に際して飢餓のために落命した568名を供養したものである。568名の七回忌の追善供養として、第18世住職賢信が建立した。568名のうち500名余りに戒名がつけられていて、俗名や出身地、死亡月日などを記した過去帳も残っている。 墓地には、幕末の志士として名を残す大久保鼎の墓がある。大久保は館林藩藩士で、公武斡旋のため無断で京都へ旅している途上に捕縛され、1864年(元治元年)4月16日に切腹した。大久保は大正時代に贈位され、子孫がその墓を守っている。墓地には、明治時代の漢詩人本田種竹も葬られている。
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