境内と伽藍
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存明寺の寺域は東西に長く、大谷石積みの塀に囲まれている。山門は御影石造りで境内に入ると西南向きの本堂、表玄関、庫裏があって、その右側には土蔵が見えている。 境内は緑が豊かで、本堂裏手にはケヤキやサクラなどの大木が生育している。これらの木は、世田谷区の保存樹木となっている。 本堂は歴史の項で触れたとおり、名古屋の堂宮大工として当時名を知られた伊藤平左衛門によるものである。伊藤は日本建築の改良を志した人物でありその構造を研究して、日本各地の神社・仏閣などの設計施工を手掛けていた。代表作としては、第二次世界大戦前の浅草観音堂が挙げられている。1822年(文政5年)第9世林明の銘が入った伏鉦が、本堂内にある。 第二次世界大戦時に取り壊された鐘楼は、柱と建築材の一部が1996年(平成8年)の時点で現存していたという。2015年(平成27年)9月20日には、永代供養墓(納骨堂)が完成した。この供養墓は、「無量寿」と名付けられている。
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境内と伽藍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 01:17 UTC 版)
境内は自由に拝観できる。 表門 1724年(享保9年)伏見城から移築 鐘楼堂 1737年(元文2年)竣工 本堂 1774年(安永3年)竣工 薬医門 1779年(安政8年)上棟 開山堂 1830年(天保1年)再建 西門 1857年(安政4年)伏見城から移築 清涼池 妙種院 真如院 本地院 本行院 顕寿院 實成院 法性院 信行院
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