多聞院 (奈良県平群町)とは? わかりやすく解説

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多聞院 (奈良県平群町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 23:15 UTC 版)

多聞院
所在地 奈良県生駒郡平群町信貴畑1474
位置 北緯34度37分14.4秒 東経135度40分44.9秒 / 北緯34.620667度 東経135.679139度 / 34.620667; 135.679139座標: 北緯34度37分14.4秒 東経135度40分44.9秒 / 北緯34.620667度 東経135.679139度 / 34.620667; 135.679139
山号 米尾山
宗派 信貴山真言宗
本尊 毘沙門天像
創建年 伝・用明天皇2年(587年)
開山 伝・聖徳太子
札所等 大和北部八十八カ所霊場第45番
法人番号 8150005003439
多聞院
多聞院 (奈良県)
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毘沙門天像

多聞院(たもんいん)は、奈良県平群町信貴畑にある、信貴山真言宗の寺院。山号は、米尾山(よねおさん)。本尊は、毘沙門天像(「汗かき毘沙門天王」)。信貴山朝護孫子寺の奥之院である。

概要

朝護孫子寺の本堂より2km程北にある。

毘沙門天出現、最初の地とされている。

境内の浄域から焼米が出ることで有名で、山号(米尾山)の由来となっている。

山門を入って左に曲がると、右手に客殿があり、左手を登ると本堂がある。本堂は、入母屋造瓦葺きで、内陣中央に毘沙門天を安置する厨子がある。檀上に弁財天立像、毘沙門天立像、不動明王愛染明王像、弘法大師像、十一面観音像などが祀られている[1]

本尊は、寺伝によると聖徳太子物部守屋大連を追討の時、この毘沙門天が先鋒を振るわれて御尊像に汗をかかれたといい、「汗かき毘沙門天王」と称し霊験あらたかな尊像として秘仏として護持されている[2]。毘沙門天像は宝冠をいただき、いわゆるふん怒像ではない。正3月日間と、7月3日のみ公開される。

宝物に紙本涅槃画像があるが、享和二年の裏書がある。なお、本堂に隣接して鉄筋の護摩堂があり、三宝荒神を安置するほか、毘沙門天立像と不動明王像などが祀ってある[1]。また、同境内に多聞院並びに、信貴畑の鎮守社素戔嗚神社がある。

1911年明治44年)5月19日、文秀女王が御成[3]

大和北部八十八ヶ所霊場の第45番札所である。

コミュニティバス「信貴畑集落センター」から、徒歩2分の信貴畑字勧請に、天文二十一年在銘の十三仏碑がある。

アクセス

近鉄生駒線平群駅」から、コミュニティバスで「信貴畑集落センター」下車、徒歩8分。

関連項目

  • 多聞院(曖昧さ回避のためのページ)

脚注

  1. ^ a b 『平群町史』平群町役場、709-710頁。 
  2. ^ 多聞院掲示板
  3. ^ 六大新報』402号、六大新報社、1911年6月、16頁。NDLJP:7941333/1 



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