上陸までとは? わかりやすく解説

上陸まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 16:11 UTC 版)

ラバウルの戦い」の記事における「上陸まで」の解説

1942年昭和17年1月4日から、南洋部隊千歳海軍航空隊基地航空隊陸上攻撃機)や横浜海軍航空隊飛行艇部隊)によるラバウル空襲開始したオーストラリア空軍のレルーはこの戦闘勝ち目をがないと判断した後、ラテン語メルボルンオーストラリア空軍本営に対して"Nos Morituri Te Salutamus" ("これより散らんとする我ら諸君らに敬礼捧ぐ")と電信打った1月8日-9日南雲機動部隊日本本土出撃した。1月14日0830、南雲機動部隊トラック泊地到着した1月14日1330、志摩少将第十戦隊司令官指揮下のラバウル攻略部隊本隊第19戦隊〈沖島津軽天洋丸〉、第30駆逐隊特設巡洋艦金剛丸日海丸〉、南海支隊輸送船船団横濱丸、くらあど丸、太福丸、ちえりぼん丸、日美丸、ちゃいな丸、水戸丸、べにす丸、門司丸〉)はグァム島出撃した。ラバウル新編予定第八特別根拠地隊関係者金澤正夫少将司令部予定者)は旗艦沖島便乗したサイパン島第五根拠地隊所属水上機や、メレヨン島進出した水上機母艦聖川丸水上機船団の直衛を行った1月15日1530、潜水部隊(第27潜水隊、第33潜水隊)はトラック泊地出撃セントジョージ海峡南方邀撃配置についた会敵できず、29日トラック泊地戻った1月17日0930南雲機動部隊トラック泊地出撃した。同日同時刻、攻略部隊本隊トラック泊地より西進していた第六水雷戦隊司令官梶岡定道少将指揮下の別働隊軽巡夕張〉、第29駆逐隊第四部隊静海丸、黄海丸、高瑞丸〉、第二海城丸〈1日遅れで合同〉)と洋上合流メレヨン島東方海域)、以後志摩少将指揮下で南下した1月18日前日よりグリーニッチ島に進出していた日本軍水上偵察隊は、ラバウル湾内偵察成功したその後水上偵察機隊は輸送船団対潜対空哨戒従事した同日夕刻攻略部隊支援部隊第六戦隊)の重巡洋艦4隻はトラック泊地出撃攻略部隊本隊との合流地点向かった1月19日支援部隊第六戦隊)は洋上ラバウル攻略部隊本隊合流した1月20日午後2時、カビエン攻略部隊指揮官丸山少将/第十八戦隊司令官)の第十八戦隊天龍龍田)、第23駆逐隊菊月卯月夕月)、輸送船3隻(金龍丸、五州丸〈航空機運搬艦〉、吾妻山丸)はトラック泊地出撃南下開始した1月20日南雲機動部隊空母4隻(赤城加賀瑞鶴翔鶴)から発進した航空隊109機(零式艦上戦闘機九九式艦上爆撃機九七式艦上攻撃機)がラバウル第一空襲敢行した。8機の九九式艦上爆撃機急降下爆撃機)が攻撃仕掛け戦闘で3機のオーストラリア空軍戦闘機撃墜され、2機は不時着残りの機も損傷受けた日本記録では4機撃墜、1機不時着オーストラリア人飛行士乗組員6人が戦死し、5人が負傷した南雲機動部隊損害は、零戦1、艦爆1、艦攻1の合計3機で、攻撃目標を完全に達成したため第二次空襲中止された。オーストラリア軍基地破壊されオーストラリア軍歩兵部隊ラバウル自体から撤退することを余儀なくされた。一方南雲機動部隊一航戦赤城加賀)と五航戦(瑞鶴翔鶴)に分れ行動する一航戦21日カビエン空襲、五航戦はニューギニアラエサラモア空襲した。オーストラリア軍カビエン守備隊守備不能になり、逃走したオーストラリア陸軍部隊日本軍上陸するであろう予測したであったブランチ湾の西岸沿って配置付き残存していたオーストラリア空軍の2機の急降下爆撃機と1機のハドソン爆撃機ラエ向けて撤退することとなった航空機何人も負傷者乗せて離陸した後、オーストラリア軍飛行場爆破した。またカタリナカビエン南西航行中第六戦隊青葉加古衣笠古鷹)と輸送船団発見して通報したポートモレスビーより飛行艇3機が爆撃むかったが、1機は五航戦の零戦撃墜され搭乗員青葉救助収容された。 1月22日一航戦赤城加賀)は計46機でラバウル空襲敢行した。この日の損害艦爆2機不時着であった翌日の上陸戦闘においても、赤城零戦9機と艦爆6機が上空警戒支援おこなった

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上陸まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 08:22 UTC 版)

アルビオン作戦」の記事における「上陸まで」の解説

悪天候による遅延の後、最終的に1917年10月11日攻撃開始された。10月10日夕刻、重装の部隊はPutziger Wiekを出発し、夜の間にWindauからの部隊合流した上陸軍の司令部旗艦モルトケ」に乗り込んでいた。午後の間、兵員輸送船攻撃部隊とともに4縦隊をなし、速力9ノットで北に向かった一方掃海部隊機雷原中に航路作り出す努力続けた夜間波浪増したことで掃海部隊動き妨げられ予定時刻までには機雷原掃海が終わらなかった。奇襲効果失われることを恐れたシュミット提督は、満載状態の輸送船価値ある戦闘艦危険にさらすことを決断した上陸船団掃海終わってない作戦海域素早く通過した機雷原抜けたにもかかわらず大きな損害発生しなかった。ただ工兵輸送していた小型蒸気船コルシカ」が午前5時頃に機雷によって大きく損傷した乗組員および搭乗していた兵員水雷艇などに移乗し、船は浅瀬乗り上げて修理を待つことになった

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