上陸、そして南へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 23:32 UTC 版)
デ・ウィアートは4月下旬、ナムソスにおける5時間の暗闇の中、分散した部隊と機材を船から降ろして丘へ輸送することを管理、それらを強行させた。何度かドイツ軍は偵察飛行を行ったが、前夜に上陸が行われたことに気づかなかった。ウィアートにはムソスに司令部を設立する時間が無く、ナムソスフィヨルドを横断する長い橋梁へとさらにBangsundの村を占領するために使用する南へ伸びる2つの道のひとつを押さえるために防衛隊を派遣した。それらがノルウェー軍のオレ・ゲッツ(Ole Getz)大佐指揮下の少数の部隊と合流した所で、彼はさらに2番目ルートである直接Bangsundの村へ向かわず、一旦、Grongへ向かうルートの南沿いの真東へ300名を送った。そして、トロンヘイムフィヨルドの先頭にあるBreitstadfjordへ向かうためにより小さなグループはBangsundの南へ送られた。 デ・ウィアートはより素早く彼の部隊が南をとるならば、ドイツ軍からトロンヘイムを奪うチャンスが高くなることに気づいた。彼は、最優先事項として、ドイツ軍がトロンヘイムへ到着する前に、南へ向かう2つの道が合流しているスタインシャーへ到着するべきであると考えた。 一方、駆逐艦がナムソスに向かった後もLillesjonaではドイツ軍機による攻撃が続いていた。そのため、護衛部隊のレイトン提督は、駆逐艦が戻るのを待たず輸送船をナムソスへ向かわせることを決めた。Lillesjonaに残存した部隊の大部分はエンプレス・オブ・オーストラリアに乗船していたが、より速度の速いホロブルィに集められた。そして、ホロブルィは軽巡洋艦カーリューなどに護衛されてナムソスに向かい、部隊を上陸させた。ドイツ軍の爆撃機が到着する前に輸送船が逃げるために、狂ったような忙しさの中、兵士らは装備の多くを持たずに上陸した。しかし、デ・ウィアートは偵察機が到着する前に部隊の分散化に成功した。 この時、デ・ウィアートはトロンヘイムフィヨルドへの直接攻撃が取り消されたことを知らなかった。ナムソスで消費された彼の時間を通して、ノルウェー以外の場所で発生したことについて完全な知識を持たないままであった。
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