上陸作戦準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 06:51 UTC 版)
もともと、それまでドイツでは英本土上陸作戦が必要になるとは考えられていなかったので、陸軍にも海軍にも上陸用舟艇などの敵前上陸用の装備は、研究試作的なものを除いてなかった。当時、師団規模以上の敵前上陸能力を持っていたのは、大発動艇などを多数装備し、実際に1937年の第二次上海事変で敵前上陸を行った日本だけであった。 上陸作戦部隊の輸送については、ノルウェー侵攻の場合と同様に海軍の担当となった。6月中旬段階で、上陸作戦計画はまだ決まっていなかったが、上陸作戦能力の確保は必要ということで、ヒトラーは、海軍に最高優先度で準備を進めるよう指示した。この目的のために、大小総計174隻の貨物船が徴用された。 上陸部隊の第一梯団は、1隻あたり約75人で、海軍の掃海艇、Rボート、その他補助艦艇や漁船に分乗し、上陸地点沖合で、陸軍の39型強襲ボート(6人の歩兵とMG34機関銃1基搭載,エンジン付き)に乗り換え上陸。第二梯団(あらかじめ乗船港で乗船済)と、沖合の貨物船から部隊と物資を揚陸するのは、ライン河やバルト海沿岸で使用されていたはしけを改造したものを使うことになった。このために、6月に、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスからはしけが総計2945隻徴発された。ほとんどのはしけは平底なので、兵員機材運搬用には改造しやすいという利点があったが、徴発されたはしけの約三分の二は自力推進能力をもっておらず、また自力推進可能なものも、外海での使用には推力が不足しており低速すぎた。また、火砲、戦車などを搭載するには、強度が不足しており、更に上陸時、艇首が前へ倒れる道板(ランプ)の改造も必要であった。海軍首脳部はアシカ作戦には消極的であったが、アシカ作戦準備のために、これらのはしけの改造作業は、7月から民間造船所、海軍造船部、15個の陸軍建設大隊が、精力的な突貫作業を行い、なんとか9月の作戦予定時期までには、計画分の改造作業は間に合った。 これらの改造はしけが海峡を渡るために、海軍は426隻のタグボートを手配し、1隻のタグボートは、1隻の自力推進はしけと1隻の非推進はしけを曳航する計画だった。 改造はしけの道板は、兵員の揚陸では問題はなかったが、車両の揚陸には、(銃弾飛び交う中での)乗組員による10分以上の手作業が必要であった。陸軍は、掩体壕などの防御拠点の制圧には、戦車が必要と考えていたので、潜水戦車と浮上走行戦車の改造も行われた。潜水戦車とは、II号戦車、III号戦車、IV号戦車の車体を水密化してシュノーケルを設置し、水深15メートル以下の海底を、最大速度 6kmHで自力走行するものである。4個大隊、約250台が準備された。潜水戦車用には、特別な改造はしけが必要であった。浮上走行戦車は、比較的車重の軽いII号戦車の車体両側面に巨大な浮きをとりつけ、車体後部に推進用プロペラをもうけ、水上を最大速度 6kmHで自力走行するものである。浮きは、装甲されておらず機関銃弾で穴があくので、上陸するまで被弾してはならなかった。浮上走行戦車は、52台準備された。 上陸作戦には、空挺部隊も参加する予定であったが、輸送につかうJu-52は、低地諸国での作戦で多数損失を出しており十分な数はなかった。Ju-52の生産は低優先度しか与えられておらず、9月中旬の作戦予定時期には、約220機のJu-52と50機程度のDFS-230グライダーが使用可能になる見込みであった。これは、後に行われたクレタ島侵攻に使われた機材数の半分程度である。
※この「上陸作戦準備」の解説は、「アシカ作戦」の解説の一部です。
「上陸作戦準備」を含む「アシカ作戦」の記事については、「アシカ作戦」の概要を参照ください。
- 上陸作戦準備のページへのリンク