ノルウェー侵攻
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「Do 26 (航空機)」の記事における「ノルウェー侵攻」の解説
Do 26は1940年4 - 5月のノルウェー侵攻作戦に参加し、エデュアルト・ディートル指揮下のナルヴィクで戦う孤立したドイツ軍への補給品、兵員、負傷兵の搬送を行った。この作戦中に3機が失われた。 1940年5月8日にV2号機(以前のゼーファルケ)は18名の山岳猟兵を搬送中に英国海軍の空母 アーク・ロイヤルの第803海軍航空隊所属のブラックバーン スクア 3機に撃墜された。V2号機がバランゲンのエフョルデン(Efjorden)に不時着した後、機長のシャック・フォン・ヴィッテノウ伯と搭乗員、18名の山岳猟兵達はノルウェー軍と激しい戦闘を行い捕虜となった。後に艦隊航空軍のトップ・エース・パイロットとなるフィリップ・ノエル・カールトン(Philip Noel Charlton) 中尉が搭乗していたブラックバーン スクア機の1機は、V2号機の反撃を受けハーシュタ近郊のトーヴィックに緊急着陸した。 その後1940年5月28日にV1号機(以前のゼーアドラー)とV3号機(以前のゼーメーヴェ)は共にナルヴィク近郊のロムバクスフィヨルド(Rombaksfjord)のシルドヴィック(Sildvik)の係留地でDSO、DFCとbar叙勲者でニュージーランド人のP.G. "パット" ジェームソン(P.G. "Pat" Jameson)大尉(後に大佐)が指揮する第46飛行隊所属の3機のホーカー ハリケーン機に発見、攻撃され沈没した。ナルヴィクの東の山岳地で戦うドイツ軍に届けられる予定の3門の山砲はV1号機とV3号機が破壊されたことにより失われたが、1門だけは1機が沈没する前に回収された。
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ノルウェー侵攻
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「アーク・ロイヤル (空母・初代)」の記事における「ノルウェー侵攻」の解説
アーク・ロイヤルとグローリアスは1940年4月23日にスカパ・フローに到着し、すぐにDX作戦の一部として再配置された。軽巡カーリューと重巡ベリックと共に航行し、駆逐艦ハイペリオン、ヘレワード、ヘイスティ、フィアレス、フューリー(Fury)、ジュノーが護衛した。これがイギリス海軍が他軍艦を戦闘機で保護することを主目的として、空母を導入した最初である。艦隊は4月25日に離岸した。アーク・ロイヤルは空からの攻撃機会を減らすため洋上120海里(220km)に配置された。同空母は対潜水艦哨戒を実施し、他の船舶には戦闘機支援を提供し、海上および陸上の目標に対する攻撃を行った。アーク・ロイヤルは4月27日にスカパ・フローに戻って損失破損した航空機と燃料を補給して、同日に戦艦ヴァリアントの護衛として前線に戻った。帰還の間、アーク・ロイヤルはノルウェーから出撃したドイツ爆撃機ユンカース Ju 88とハインケルHe 111の攻撃を受けたが、同空母は損傷を受けず、4月29日に持ち場に戻った。 この時点で、イギリスの最高司令部は彼らが南ノルウェーのドイツ軍を止めようがないことに気づいた。モルデとオンダルスネスからの連合軍の避難が始まり、アーク・ロイヤルは 4月30日からの防空支援を提供した。5月1日終日、ドイツは数多くの航空攻撃を行い、同空母を沈めようとした。アーク・ロイヤルの戦闘機や重い対空弾幕は、敵を追い払い、いくつかの爆弾は空母に落とされたが、どれも影響を与えなかった。5月3日に避難は完了し、同空母はスカパ・フローに呼び戻され、ノルウェーに戻る前に燃料補給と再武装が行われた。港にいる間、アーサー・パワー艦長は海軍本部への昇進のために艦を降り、セドリック・ホランド(Cedric Holland)に代わった。ノルウェーに戻ったアーク・ロイヤルは、5月13日にフランス軍の上陸を含む、ナルヴィク周辺の防空支援を提供するように通達された。アーク・ロイヤルは5月18日に空母グローリアスとフューリアスに加わった。 こうした努力にもかかわらず、5月下旬にはフランス軍は崩壊寸前にありノルウェーはイギリス海峡へのドイツ進出と比較すれば枝葉末節であることが明らかになった。そこで連合軍をナルヴィクからイギリスに移動させるためのアルファベット作戦が実施された。アーク・ロイヤルとグローリアスは、6月1日に駆逐艦ハイランダー(Highlander)、ダイアナ、アカスタ、アーデント、アケロンに守られてスカパ・フローから撤退支援のため出港し、翌日には支援を開始した。アーク・ロイヤルは、6月3日にナルヴィクに再配置されるが、6月3日から6日にかけて航空哨戒と爆撃を実施した。翌日、厄災が発生した。空母グローリアスは駆逐艦アカスタ、アーデントに護衛され、イギリスに戻るために出港したが、この三隻はドイツの巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウによって攻撃され沈没したのである。アーク・ロイヤルの航空捜索はドイツ艦を発見できず、両ドイツ艦はトロンハイムに帰投した。 最後の避難隊は6月9日にナルヴィクを出発した。イギリス艦船の撤退前に、シャルンホルストの拠点トロンハイムへの攻撃があった。アーク・ロイヤルの艦爆スクアの攻撃が6月13日深夜に行われた。この攻撃は厄災であった―護衛の駆逐艦アンテロープとエレクトラが衝突し、一方アーク・ロイヤルが霧の中で航空機を発進させ、修理のためにイギリスに帰したが15機の艦爆スクアのうち8機が撃墜され、シャルンホルストは被害を免れた。アーク・ロイヤルは翌日スカパ・フローに戻り、地中海艦隊に再度割り当てられた。
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