ノルウェー作戦とブリテンの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 04:04 UTC 版)
「ヘルムート・レント」の記事における「ノルウェー作戦とブリテンの戦い」の解説
1940年8月8日、第76駆逐航空団の8機が、中隊長ヴェルナー・ハンセンの指揮のもとノルウェー侵攻の準備段階としてイェファーからシリト島のヴェーザーランドに展開された。ドイツの計画は「アンフィビウス・アタック 」と呼ばれる、ノルウェーの首都オスロと南北6ヶ所の主な港湾都市へ攻撃をしかけるものだった。同時に、オスロのフォルネブを確保するため輸送機Ju 52がパラシュート部隊を投下した。飛行場を押さえるために パラシュート部隊が投下された20分後にはさらに追加のJu52が到着する予定になっていた。第76駆逐航空団はその両面を支援した。8時45分のフォルネブへのパラシュート投下と同時刻になるよう、8機の Bf 110 が朝7時に出撃した。ヴェーザーランドからフォルネブまでの距離は、これが片道の作戦であることを意味した。Bf 110は往復するだけの燃料を積むことができず、飛行場を奪ったうえでフォルネブに着陸しなければならなかったのだ。 その日の朝はやくフォルネブへと向ったレントは、ノルウェーのグロスター グラディエーターと交戦し、これを撃墜した。パラシュート部隊を輸送するJu 52が激しい攻撃をうけながら飛行する一方で、レンツの「ロッテ」も敵の地上部隊を相手にしていた。レンツの右エンジンが被弾し、すぐに着陸しなければならなくなった。可動式の機関銃をかかえたクービッシュとともに、ノルウェーの地上戦力と条件付降伏の交渉をしている間に、飛行場はドイツのものになっていた。 同日の18時50分、レントとその中隊長ヴェルナー・ハンセンは無傷のBf 110で再びフォルネブから出動した。40分のフライト中に、イギリス空軍第210飛行隊のショート サンダーランドと交戦した。互いに撃ち合い、ハンセンは「一殺」を認められている。 ヘルムート・レントは1940年5月13日に一級鉄十字章をうけ、その後トロンハイムへ移った。イギリス空軍第263飛行隊のグロスターグラディエーターを撃墜したのがノルウェー作戦における2機目だとレントは主張している。1940年6月2日に彼とその僚機、テーネスはそれぞれ1機ずつグラディエーターを撃墜したと証言し ている。5時間46分におよぶフライトでの彼らの敵はやはり第263飛行隊の戦闘機(number N5893, N5681)だった。さらに彼は7機目としてブリストル ブレニムをあげている。1940年7月1日にレントは中尉に昇格した。 ヘルムート・レントはブリテンの戦いには短期間しか加わっていない。8月15日に第76駆逐航空団から21機 のBf 110がヨークシャーとニューカッスルへと向う爆撃機He 111の護送のため出撃した。第76駆逐航空団が7機を失ったこのミッションは、ヘルムート・レントにとって98回目にあたる。また彼の同団での最期のミッションであった。
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