上陸前の攻防
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 17:00 UTC 版)
硫黄島へ艦砲射撃を開始したブランディの艦隊は、新鋭戦艦をルソン島の戦いとジャンボリー作戦の支援に回されていたため、真珠湾攻撃で損傷して修理された「ネバダ」、「テネシー」の他に、「アーカンソー」、「テキサス」、「アイダホ」、「ニューヨーク」の旧式戦艦6隻をかき集めて編成されていた。このうち「アーカンソー」の進水は1911年であり、水兵たちはこの老戦艦隊を“おばあちゃん”と呼んでいた。それでも、この艦隊は12インチ(30 cm)以上の巨砲を74門も保有しており、このうちの4隻は前年のノルマンディー上陸作戦でのドイツ軍に対する艦砲射撃で功績を挙げていた。旧式艦の寄せ集めとは言え、多くの日本軍守備隊将兵にとってはかつてみたことのない大艦隊であり、その威容に驚愕すると共に、艦隊が硫黄島の方向に舳先を向けることがなかったので「敵艦隊は父島に向かっている」という淡い期待を抱いた。しかし、これは硫黄島に艦砲射撃を浴びせるため、目標に対して平行進しているに過ぎなかった。 1945年2月16日(日本時間)、ブランディの艦隊は艦砲射撃を開始した。旧式戦艦6隻、巡洋艦5隻よりなる砲撃部隊は、各艦が受け持ちの地域を設定されていたが、偵察機によって調べられた既知の陣地が地図上に書き込まれており、その目標に対して艦砲射撃を浴びせた。そして目標を撃破すれば地図上で消し込みを行い、その間に偵察機等により判明した陣地が新たに地図上に書き込まれるので、今度はその新しい目標に対して艦砲射撃を浴びせるということを繰り返し行った。そして、これを援護した護衛空母の艦載機は弾着観測と陣地に対する爆撃と機銃掃射を行なったが、堅牢に構築されていた日本軍の陣地に対しては、通常の爆撃ではほとんど効果がないことから、少し手薄に構築されていた陣地をロケット弾で精密攻撃し、また陣地を隠している樹枝や偽装をナパーム弾で焼き払った。 翌2月17日に艦砲射撃の効果ありと判断したアメリカ軍は、機雷や暗礁などの障害物を調査するため、掃海艇とフロッグマン約100名を乗せた武装揚陸艇 (LCI(G)) (英語版)12隻を硫黄島東海岸に接近させた。これを、アメリカ軍の本格的上陸の第1波と誤認した海軍南砲台および摺鉢山砲台は、揚陸艇を砲撃して9隻を行動不能にし3隻を大破させ、乗組員196人を死傷させた。しかし、フロッグマンは日本軍の猛砲撃のなかでも任務を続けている。また、海軍の15cm砲は重巡洋艦「ペンサコーラ」に7発の命中弾を与え、115人の乗組員死傷させたうえ、駆逐艦「ロイツェ」にも1発命中させて41人を死傷させた。この様子を見ていた日本兵の一部は「日本軍もいつまでも撃たれっぱなしではいないんだぞ」「北もやるなら南もやるソレソレ」と歓声を上げたが、一方で「これはまずい、海軍さんは少し早まったことをした。これでこっちの砲台が敵にわかってしまった」と冷静に危惧する兵士もいたという。その夜、栗林は「敵の本格上陸は南海岸であること概ね確実」と判断し、各砲台に全貌を暴露するような砲撃は控えるよう再徹底した。 しかし栗林の危惧通り、2月18日になってアメリカ軍は位置を特定した摺鉢山や海軍の南砲台に、朝7時45分からじつに11時間も延々と、老戦艦隊の巨砲を浴びせ続け、艦砲射撃が止む合間には艦載機が入れ代わり立ち代わりで空爆をおこなった。この激しい艦砲射撃と空爆により、摺鉢山山頂は1/4は飛散してしまい。海軍南砲台は6個のべトントーチカ、8個の水平砲台が全て撃破され、多数の火砲を失った。これはアメリカ軍上陸直前の時期における硫黄島守備隊の一大痛恨事となり、アメリカ軍からも「栗林の唯一の戦術的誤り」と評され「攻撃側への贈り物」とされている。この際、あるアメリカ兵が「俺達用の日本兵は残っているのか?」と、戦友に尋ねたというエピソードがある。しかし、偵察機ではうかがい知れないその答えを、海兵隊員は上陸後、身をもって知ることになる。 19日、午前6時40分には「ジャンボリー作戦」を終えて合流した「ワシントン」、「ノースカロライナ」の 16インチ(40.6cm)砲(英語版) も加えた艦砲射撃が始まり、8時5分には高速空母隊を発艦した120機の戦闘爆撃機が空爆を開始した。そのなかには48機の海兵隊所属機も含まれており、海兵隊機指揮官は地上で戦う戦友らを少しでも援護しようと、「機体が海岸の砂をこするほど低空飛行せよ」と超低空飛行による精密攻撃を命じて、戦闘爆撃機が投下したナパーム弾で海岸に大きな火焔の幕がいくつもできた。海兵隊機はさらに上陸する戦友を景気づけるためか、摺鉢山に南北正反対の方向から侵入し、それから山に激突する寸前に南北に別れるといった曲芸飛行まがいの飛行も行った。その様子を見ていた空中管制官は「これ見よがし」で「効果的というより見世物的」と眉をひそめたが、そのなかの1機のF4Uコルセアが日本軍の高射砲の直撃を受けて撃墜された 。その次には、海兵隊の要請でマリアナ諸島から飛来したB-24が爆撃を開始した。陸軍は当初、海兵隊からの爆撃支援要請に対して「もう硫黄島の海岸に目標はない」として要請を断ろうとしたが、海兵隊の強い要請もあってB-24を44機出撃させた。しかし、航法の失敗で硫黄島まで到達できたのはたった15機に過ぎず、投下した爆弾も19トンと少なく、さらに硫黄島は雲により視界が遮られており殆ど効果がなかった。
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