上陸後の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:08 UTC 版)
5月の2週目、ドイツ軍の東、Gratangseidetへのノルウェー軍の進撃はナルヴィク戦線における最も重要な活動であった。その上、ノルウェー軍の右側面ではフランスのアルペン猟兵部隊がノルウェースキー中隊の支援を受けて、ラバージュの谷へ進んでいた。オフォトフィヨルド南部では連合軍はあまり成功を収めておらず、また、オフォトフィヨルド北部では作戦行動を行っていなかった。ノルウェー軍は山岳での作戦に成功し続け、5月半ば、連合軍は主導権を奪い、重要な勝利を成し遂げた。パリとロンドンの両政府はナルヴィク戦線における進歩が遅いことによりいらいらしており、そのため、フランス軍の指揮官はより多くの行動を取るよう迫っていた。 慎重に上陸を行うことは断念され、5月12日真夜中、陸海空共同による攻撃が開始された。この攻撃はBjerkvikへ向けられ、ヘリヤンクスフィヨルドでイギリス海軍による砲撃の後に行われた。フランス外人連隊は軽戦車5両の支援を受けた上で岸に上陸した。フランス軍はBjerkvik、Elvegårdsmoen駐留地を占領、ドイツ軍が撤退した北西方面へ進撃、そしてHerjangsfjordの東側に沿って南へ移動した。計画ではポーランド部隊はフィヨルド西側へ上陸した後、Bjerkvikの方へ進撃することになっていたが、複雑な地形は彼らの進撃を遅らせることとなり、Bjerkvikが占領される前に到着することができなかった。それはフランス軍とノルウェー軍がドイツ軍を包囲するために北から進む計画の一部であったが、ノルウェー軍とフランス軍の指揮官らの協力関係問題はドイツ軍が撤退できる隙間を残すこととなった。これらの問題にも関わらず、連合軍はナルヴィク北方の見通しが利く場所を占領した上で、ロンバックスフィヨルド(Rombaksfjord)上で攻撃する予定であった。 また、連合軍はバルドゥフォス(en)からの航空支援が完全に確立されるのを待ったため、攻撃開始が遅れていた。5月28日23時40分、海軍による砲撃が北から開始された。フランス軍2個大隊とノルウェー軍1個大隊はロンバックスフィヨルド対岸へ輸送され、北からナルヴィクに向かって進撃した。南側ではポーランド大隊がアンケネス(en)とベイスフィヨルド(en)方面へ進撃していた。上陸用舟艇の最大定員は290名であったが、これらの部隊は45分間、補強することができなかった。残りのフランス軍、ノルウェー軍の部隊が上陸する頃までに、これら最初に上陸した部隊はオルネス(Ornes)で足場を確保していた。フランス軍は都市の方へ西進、そして鉄道に沿って東進した。ノルウェー軍はTaraldsvik山の方へ進撃、その後、転進して都市のほうへ山を下った。ドイツ軍指揮官は午前7時前に撤退を決定、ベイスフィヨルドに沿って退却、連合軍は陸上で初の大きな勝利を得ることとなった。
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