上陸前の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:46 UTC 版)
8月12日に、アメリカ艦隊が幌筵島などの北千島一帯に艦砲射撃を行ったが、占守島には行われなかった。 14日、カムチャッカ半島ロパトカ岬のソ連軍砲台(130mm海岸砲4門)が、竹田浜付近の砂浜に数発の砲撃を行った。 15日、日本軍のポツダム宣言受諾が公表され、正午にはソ連軍を除く連合国軍は積極的な行動を停止し、大部分の戦線で停戦状態となった。しかし、同日夕刻には国籍不明機が占守島を爆撃している。 17日午前5時に、ソ連軍上陸船団は泊地から出航し、途中からは無線封止して前進した。同日午前6時半頃には、海軍飛行連隊の3機が占守島の偵察と爆撃を行った。さらに、同日の日中には第128混成飛行師団所属機が占守島の軍事目標に対して連続爆撃を行った。ロパトカ岬の砲台も、占守島小泊のソ連座礁船残骸などに対して砲撃があった。 一方日本軍は、8月15日の玉音放送に続き、北海道の第5方面軍から「18日16時の時点で停戦し、こちらから軍使を派遣」「その場合も、なお敵が戦闘をしかけて来たら、自衛のための戦闘は妨げず」との命令を受けた。17日までには各部隊に伝達されて、戦車の備砲を撤去するなど武装解除の準備を進め、化学兵器の海没処分などは終えていた。日本軍は、17日にカムチャッカ半島沿岸を舟艇多数が移動しているのは発見していたが、終戦後にソ連軍が侵攻する可能性はないとして、重視していなかった。ただし、17日夜半には沿岸拠点の一部に一応の警戒を命じており、竹田浜の前線には独立歩兵第282大隊(大隊長:村上則重少佐)隷下の1個中隊と大隊砲3門、速射砲3門、野砲2門、臼砲4門などが展開していた。
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