物部長鉾とは? わかりやすく解説

物部長鉾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 13:48 UTC 版)

物部 長鉾
生誕 1892年12月26日
日本 秋田県
死没 (1967-02-26) 1967年2月26日(74歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1914 - 1945
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

物部 長鉾(もののべ ながほこ、1892年12月26日 - 1967年2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

秋田県出身。出羽物部氏の家系である唐松神社の生まれ。

1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し、同年12月、陸軍輜重兵少尉任官。1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を卒業した。

1934年(昭和9年)8月、参謀本部員兼陸大教官に就任。1937年(昭和12年)10月、中支那碇泊場監部参謀に就任し日中戦争に出征。同年11月、輜重兵大佐に昇進。1938年(昭和13年)2月、中支那派遣軍兵站参謀となり、1940年(昭和15年)8月、陸軍少将に進級し第11野戦輸送司令官に就任。

1941年(昭和16年)10月、陸軍輜重兵学校長に異動。1942年(昭和17年)7月、船舶参謀長に発令され太平洋戦争に出征。1943年(昭和18年)2月、船舶練習部長に転じ、さらに船舶兵団長に移り、同年10月、陸軍中将に進む。1944年(昭和19年)4月、輜重兵監に就任し、留守近衛第2師団長に異動。

1945年(昭和20年)4月1日に第140師団長となり、鎌倉で対着上陸作戦準備中に終戦を迎えた。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

1948年(昭和23年)7月、南方から捕虜を輸送した際の虐待(いわゆる地獄船)に関与した容疑で逮捕、B級戦犯として裁判にかけられた[2]

親族

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  2. ^ 「地獄船でB級公判」『朝日新聞』昭和28年7月28日.2面
  3. ^ a b 物部長穗 (男性)」人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科

参考文献

  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「物部長鉾」の関連用語

物部長鉾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



物部長鉾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの物部長鉾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS