木下栄市とは? わかりやすく解説

木下栄市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 23:55 UTC 版)

木下 栄市
生誕 1893年4月1日
日本 福岡県
死没 (1969-12-18) 1969年12月18日(76歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級  陸軍中将
テンプレートを表示

木下 栄市(きのした えいいち、1893年明治26年)4月1日[1] - 1969年昭和44年)12月18日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

福岡県出身[1][2]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[1][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第14連隊付となる[3][4]。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業[1][2]。のち、兵科憲兵科に転じた。

1938年(昭和13年)3月、憲兵大佐に昇進し広島憲兵隊長となった[2]。1939年(昭和14年)8月、陸軍憲兵学校幹事に就任し、支那駐屯憲兵隊総務部長、北支那派遣憲兵隊(改称)総務部長を歴任し、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級[2]

1942年(昭和17年)8月、中支那派遣憲兵隊長に就任し、1944年(昭和19年)11月、憲兵学校長に転じた[1][2]。1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進み終戦を迎えた[1][2]。同年12月、連合国より第三次戦犯指名され、A級戦犯として逮捕され収監。

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』260頁。
  2. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』376頁。
  3. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』369、376頁。
  4. ^ 『官報』第1022号、大正4年12月27日。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木下栄市」の関連用語

木下栄市のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木下栄市のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの木下栄市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS