ラバウル攻略
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1942年(昭和17年)1月5日に呉を出港し、8日に内地を離れトラック泊地へと向かった。14日トラック泊地着、17日出撃。20-22日、空母4隻(赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴)はラバウル攻略作戦に参加し、連合軍基地を空襲した。 また五航戦の零戦が連合軍飛行艇1機を撃墜、脱出した搭乗員を第六戦隊(重巡青葉)が捕虜にしている。この時は主立った抵抗も受けず、占領することに成功する。続いて特別空襲隊(翔鶴、瑞鶴、筑摩、不知火、陽炎、霞、霰)となり、ニューギニア島ラエを攻撃した。一連の作戦後、五航戦(翔鶴、瑞鶴)はラバウル進出予定の九六式艦上戦闘機16機の空輸を担当したのち、1月29日にトラック泊地へ帰投する。翔鶴は駆逐艦2隻(浜風、陽炎)と共に内地へ帰投した。 2月1日、マーシャル諸島方面にアメリカ機動部隊が来襲。同日、機動部隊(赤城、加賀、瑞鶴ほか)はトラックを出撃して東へと向かったが、2月2日夜に機動部隊のマーシャル進出は取りやめとなり、2月8日にパラオに入港した。2月9日、瑞鶴と駆逐艦2隻(秋雲、霰)は機動部隊本隊と分かれてパラオを出港し、2月13日に横須賀到着。機動部隊からのぞかれ連合艦隊直属航空部隊(第1連隊《瑞鶴、陽炎、霰》、第2連隊《翔鶴、秋雲》)となり、アメリカ軍機動部隊の東京空襲に備えつつ訓練に従事した。艦載機は館山海軍基地や横須賀飛行場、鈴鹿海軍航空隊等で訓練に従事した。
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