ラバウル進出まで
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昭和17年(1942年) 2月10日 木更津飛行場で開隊、大湊警備府附属で北方部隊に編入。 三沢飛行場には進出せず、木更津で訓練に従事。 4月1日 第11航空艦隊第26航空戦隊に編入、定数陸攻27機。 4月18日 ドーリットル空襲勃発、陸攻12機で機動部隊を捜索。 6月6日 ミッドウェー作戦のため、先遣隊9機ウェーク島進出。 4日に作戦は失敗しており、ミッドウェー進出を断念。先遣隊は反攻に備え哨戒に従事。 7月10日 サイパン島進出下令、27日までに全機進出。 サイパン進出は、将来的なラバウル進出を念頭に置いたものだった。安全な内南洋を利用して、先発陸攻隊で実施されていた洋上航行の習熟を目指した。しかし、8月7日に連合軍はツラギ島に奇襲上陸し、守備隊と横浜海軍航空隊を玉砕させた。ソロモン諸島への反攻を予見した大本営は、急遽三沢空をラバウルに派遣することにした。
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