第十七航空隊
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トラック島基地防衛のため、カロリン諸島防衛隊として昭和16年8月11日に第四根拠地隊が設置され、哨戒航空隊として十七空を臨時編成して追加した。この航空隊は内南洋哨戒隊の中で最も遅く編制されたため、1桁の番号を持たない。実質的には哨戒以上に最前線の偵察行動に従事した。 昭和16年(1941年) 10月1日 臨時編成し開隊。第四根拠地隊附属。(水上偵察機6) 12月3日 ウェーク島攻略作戦に備え、特設巡洋艦金龍丸・金剛丸に計4機を搭載し、クェゼリン環礁に進出。 ※クェゼリンには第十九航空隊が駐留していたが、東方海上警戒のためにウェーク作戦に投入できなかった。 12月14日 ラバウル攻略のためグリニッジ島に2機進出。 以後、イギリス軍の爆撃が相次ぎ、グリニッジ派遣隊は消耗と補充を繰り返す。 昭和17年(1942年) 1月以降 トラック、ウェークおよびグリニッジに分散しつつ哨戒を継続。 2月24日 ウェーク島に敵機動部隊襲来。艦隊への接触に成功するが、千歳海軍航空隊・横浜海軍航空隊が機動部隊の追尾に失敗。 4月1日 十七空司令部を解散。以後、第四根拠地隊附属水偵隊として任務継続。 6月10日 「第二十一航空隊」(二代目)設置に際し編入。二十一空本隊に改編。 千歳空・横浜空を主軸とした長距離哨戒体制が確立したため、哨戒任務を降りてトラック出入港の護衛に専念した。壊滅は前述のとおり19年2月17日のトラック大空襲である。
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