南東方面作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 05:45 UTC 版)
1942年(昭和17年)1月1日、五航戦の搭載機は艦戦18、艦爆18、艦攻18の常用計54機に削減された。1月中旬にトラック泊地へ進出した。同月20日、南雲機動部隊はラバウルとカビエンに空襲を敢行、南洋部隊(指揮官は井上成美第四艦隊司令長官)のラバウル攻略作戦を支援する(ラバウルの戦い)。続いて五航戦はニューギニア島東部(マダン、ラエ・サラマウア)に空襲をおこなった。1月末、五航戦は第二十四航空戦隊(千歳航空隊)九六式艦上戦闘機のトラック泊地~ラバウル進出に協力した。「翔鶴」は機動部隊の航空機を補充するため横須賀に帰投した。 2月1日、米軍空母機動部隊は南洋諸島の日本軍基地に空襲を敢行する(マーシャル・ギルバート諸島機動空襲)。空母3隻(赤城、加賀、瑞鶴)を基幹とする南雲機動部隊はトラック泊地を出撃、東進した。2月3日、マーシャル諸島進出を中止して反転する。2月8日、南雲機動部隊は南方部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)に編入され、同日午前9時パラオ諸島に到着した。
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