南東方面での行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 10:03 UTC 版)
10月30日、伊6は横須賀を出港し、ラバウルに寄港。シオへの輸送任務に4回従事する。最初の2回は順調だったが、3回目では揚陸中の12月18日、米軍機の空爆を受けたため、若干の荷物を艦内に残したまま帰投。4回目では、任務を終えて帰投中の27日早朝、米魚雷艇に発見されて爆雷攻撃を受けたほか、その後米軍機の空爆を受けるも、損害を受けることなく帰投することに成功した。同日、グロスター岬付近で敵輸送船団を発見する。28日から1944年1月1日までダンピア海峡で哨戒を行った後、ラバウルに戻った。 4日、伊6は輸送物資を乗せてラバウルを出港。6日にニューブリテン島イボキに到着し、輸送物資を下ろした後出港し、10日にラバウルに到着した。17日、輸送物資を乗せてラバウルを出港。19日にイボキに到着し、輸送物資を下ろした後出港し、21日にラバウルに到着した。28日、輸送物資を乗せてラバウルを出港。30日にイボキに到着するも、地図にない暗礁に触れて推進器が損傷。輸送物資を乗せたまま2月1日にラバウルに到着した。同日、第7潜水隊は第6艦隊に復帰する。 その後、スルミ輸送を1回行い、13日に重機関銃12基と弾薬を積んでラバウルを出港。17日にロレンガウに到着して積荷を揚陸した後出港。29日に横須賀に到着して整備を受ける。 6月16日、伊6はサイパン島に向かうべく横須賀を出港していくのを最後に消息不明。 アメリカ側にも記録はなく、沈没原因は不明である。艦長の普門正三少佐以下乗員104名全員行方不明(戦死認定)。 7月13日、サイパン方面で沈没したものと認定され、1944年(昭和19年)9月10日除籍。 撃沈総数は4隻で、撃沈トン数は11,621トンである。撃破総数は1隻で、撃破トン数は49,552トンである。
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