沖縄戦での行動記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:26 UTC 版)
「歩兵第22連隊」の記事における「沖縄戦での行動記録」の解説
当初沖縄戦は、米軍を包囲殲滅する決戦思想であったため、22連隊は嘉手納に布陣し、当地で築城と嘉手納飛行場の建設に従事した。築城においては、建設資材の調達がままならず、人力に頼る工法で、危険な難工事であった。また、22連隊自らの棲息壕の構築のみならず、増援部隊の受け入れを考慮するよう要求され、自隊の3倍以上の兵力を収容でき、かつ1t爆弾にも耐えうる地下壕の構築を厳命されていた。 沖縄本島到着から半年をすぎた1945年(昭和20年)4月。決戦兵力であった第9師団が台湾へ移動したことにより、22連隊は、沖縄本島最大の重要港湾である小禄の海軍司令部壕の隣に移動した。那覇市南方の島尻一帯の防衛を任じられ、当地で築城、那覇飛行場の建設にあたった。アメリカ軍の上陸までに、22連隊は現地で召集された1500人以上の沖縄県出身者が配属された。
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