沖縄戦でのマラリア犠牲者数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 19:23 UTC 版)
「戦争マラリア」の記事における「沖縄戦でのマラリア犠牲者数」の解説
1995年に行われた竹富町の再調査によると、波照間島での犠牲者数は、当時の全人口1,511人に対して552人。死亡時期は1945年7月から1947年に渡っている。1945年8月初めから波照間島への引き揚げが行われたが、多くの人間がすでにマラリアに罹患しており、引き揚げ時には元気だった人や復員してきた人にも次々に伝染し、波照間島は有病地帯になった。 八重山列島での犠牲者数は、八重山民政府衛生部発行の資料「1945年戦争における八重山群島のマラリアについて」(沖縄県史所収)では全人口31,671人に対して3,674人とされていたが、竹富町による1995年の調査では3,825人とされる。7月23日引き揚げが許されたが、9月一杯まで犠牲者は続いた。 大田昌秀は「沖縄県史」第1巻の大城昭保論文を引用し、国頭(沖縄本島北部)一帯で1万名あまりがマラリアで死亡したとしている。
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