沖縄戦での特別攻撃隊とは? わかりやすく解説

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沖縄戦での特別攻撃隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)

沖縄戦」の記事における「沖縄戦での特別攻撃隊」の解説

菊水作戦」も参照 アメリカ海軍4月23日太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将第10軍司令官バックナー中将特攻対策為の進撃督戦した以降も、日本軍特攻苦しめられており、この頃ニミッツワシントン海軍上層部に「もう持ち堪えられない」という弱気報告打電している。 前線での苦戦の報告受けた海軍省長官ジェームズ・フォレスタル5月17日記者会見で、海軍死傷者が4,702名に達していることを明かし海軍による上陸作戦への継続的な支援困難な業務であり、高価な代償を伴うものであることをアメリカ国民皆様理解して頂きたい」と訴えたが、この会見にはバックナーへの非難の意味こめられていたと言われている。 この後、バックナーは首里防衛線を攻撃する各軍団長へ、苛立ち隠そうともせず進撃スピード加速指示しているが、このバックナーを見て第10軍海兵隊参謀長オリバー・P・スミス大将は「バックナーには、沖縄近海展開している海軍が、甚大な損害に耐えている間に進撃加速させろという大きなプレッシャー加えられていた。」と語っている。 首里戦線の第32軍の危機に、大本営菊水六号作戦5月11日~5月14日菊水七号作戦5月23日24日)を発動した。11日には第58任務部隊旗艦バンカーヒルが2機の特攻を受け大破396名の戦死者264名の負傷者を出すという甚大な損傷を受け、戦線離脱余儀なくされた。「バンカーヒル」は後にアメリカ本土ピュージェット・サウンド海軍工廠修理受けたが、同海軍工廠史上最悪損傷レベルであった翌日第58任務部隊旗艦エンタープライズ変更され特攻機基地制圧するために九州接近したが、迎え撃った第5航空艦隊所属富安中尉搭乗零式艦上戦闘機「エンタープライズ」命中して大破させ、短い間に続けて同一アメリカ艦隊旗艦特攻大破するという事態に陥った。これは、第5艦隊司令スプルーアンス旗艦重巡洋艦インディアナポリス戦艦ニューメキシコ、第54任務部隊司令モートン・デヨ少将旗艦戦艦テネシー軽巡洋艦バーミングハムに続くもので、3つの艦隊旗艦1つ作戦敵の攻撃により2回も変更になるのは異例なことであった。 この当時アメリカ艦隊様子1943年ピューリッツァー賞受賞した従軍記者ハンソン・ボールドウィン(英語版)が取材している。 毎日絶え間ない警報連続だった。ぶっつづけ40日間毎日毎夜空襲があった。そのあと、やっと、悪天候おかげで短期間ながらほっと一息入れられのである。ぐっすり眠る、これが誰も憧れになり、夢となった。頭は照準器の上にいつし垂れ神経すりきれ誰もが怒りっぽくなった。艦長たちの目は真っ赤になり、恐ろしいほど面やつれした。(中略時には攻撃前夜に、乗員たちに戦闘準備警報がラウンドスピーカーで告げられた。しかし、これはやめねばならなかった。待つ間の緊張予期する恐怖、それが過去経験によっていっそう生々しく心に迫り、そのためヒステリー状態に陥り、発狂し、あるいは精神消耗状態におちいった者もあったのである。 — ハンソン・ボ―ルドウィン。 第5艦隊は、日本軍激し特攻対し、まったく防御一点張りのような戦術常時作戦海域に留まっておらねばならず、上級指揮官らの緊張感は耐えられないくらい大きなものとなっており、ニミッツ前例のない戦闘継続中の艦隊の上指揮官らの交代行った第5艦隊司令スプルーアンスからウィリアム・ハルゼー・ジュニアに、第58任務部隊司令マーク・ミッチャーからジョン・S・マケイン・シニア交代となったスプルーアンスミッチャ―ともに沖縄戦中乗艦していた旗艦に2回ずつ特攻受けており、いずれの艦も戦線離脱をしている。特にミッチャ―がバンカーヒル特攻受けた時、特攻機ミッチャ―の6mの至近距離突入奇跡的にミッチャーと参謀長アーレイ・バーク代将負傷しなかったが、艦隊幕僚当番13名が戦死している。それらの心労体重大きく落込み交代時には舷側梯子単独では登れないほどに疲労していた。ミッチャ―はこの後体調すぐれず戦争終結後まもなく1947年他界している。 アメリカ軍占領した嘉手納飛行場読谷飛行場伊江島飛行場に、陸軍航空隊海兵隊戦闘機多数配備し沖縄制空権確保しており、特攻援護のために陸海軍爆撃機芙蓉部隊彗星艦上爆撃機などが執拗に夜襲繰り返していたが、飛行場機能支障が出るほどの打撃与えることはできていなかった。そこで日本軍は、菊水七号作戦時には一時的にでもアメリカ軍飛行場制圧しその間特攻機アメリカ軍艦船攻撃させるべく、陸軍空挺部隊から抽出したコマンド部隊義烈空挺隊」をアメリカ軍制圧下の飛行場強行着陸させ破壊活動行わせる義号作戦発動した。熊本から12機の九七式重爆撃機改造輸送機第3独立飛行隊)が出撃し、うち1機が読谷飛行場強行着陸成功搭乗していた隊員乗員機体から飛び出すと、着陸している航空機燃料集積所襲撃し飛行場守備隊激し銃撃戦行いアメリカ軍戦闘機爆撃機輸送機9機が破壊炎上29機が撃破され、アメリカ兵20名が死傷しドラム缶600本分70,000ガロン航空燃料爆破焼失するなど飛行場機能打撃与え読谷飛行場地獄さながら大混乱に陥らせて、半日渡って飛行場使用不能としたが、海軍これまで沖縄飛行場攻撃してきた芙蓉部隊が、攻撃日に慰労会酒宴開催しており攻撃参加していないなど、陸海軍連携が不十分であったうえ、沖縄義烈空挺隊突入した5月25日からまた天候崩れて特攻機出撃少数止まり義号作戦成果十分に活かすことはできなかった。 特攻この後本土決戦準備航空戦力温存策による作戦機枯渇もあり減衰ていったが、アメリカ海軍沖縄戦特攻により受けた損害甚大であり、公式記録上、沖縄戦でのアメリカ海軍損害は、艦船沈没36隻、損傷368隻、艦上での戦死者は4,907名、負傷者4,824名と大きなものとなったが、その大部分特攻による損害で、アメリカ海軍史上単一作戦受けた損害としては最悪のものとなっている。アメリカ歴史学者中でも最高の権威者と言われているサミュエル・モリソン著書で「艦船90隻が撃沈され、または甚大な損害受けた。この作戦は、大戦全期間通じ、もっとも高価についた海軍作戦となった」と沖縄戦アメリカ海軍戦史最大損害であった述懐しアメリカ軍公式報告書で「十分な訓練受けていないパイロット旧式機を操縦しても、集団特攻攻撃水上艦艇にとって非常に危険であることが沖縄戦証明された。終戦時でさえ、日本本土接近する侵攻部隊対し日本空軍特攻攻撃によって重大な損害与え能力有していた事は明白である。」と総括している。

※この「沖縄戦での特別攻撃隊」の解説は、「沖縄戦」の解説の一部です。
「沖縄戦での特別攻撃隊」を含む「沖縄戦」の記事については、「沖縄戦」の概要を参照ください。

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