沖縄戦で米軍が建設した飛行場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 05:00 UTC 版)
「沖縄の米軍基地」の記事における「沖縄戦で米軍が建設した飛行場」の解説
1945年4月1日に日本陸軍北飛行場(読谷)と中飛行場(嘉手納)を目指し上陸した米軍は、その日のうちに自壊されていたこれら二つの飛行場の修復にとりかかる。その後も戦闘を続けながら後方では次々と本土攻撃のための飛行場を建設し、1945年12月までには以下の11の飛行場と、ハンビー飛行場やビーズリー飛行場といった小飛行場を20あまり建設した。 米軍が1945年に建設した飛行場日本軍の飛行場米軍の飛行場現在1 伊江島飛行場 伊江島飛行場 伊江島補助飛行場 2 本部飛行場 1971年返還 3 金武飛行場 キャンプ・ハンセン 4 ボーロー飛行場 瀬名波通信施設 5 陸軍北飛行場 読谷飛行場 読谷補助飛行場 6 陸軍中飛行場 嘉手納飛行場 嘉手納飛行場 7 泡瀬飛行場 泡瀬通信施設 8 普天間飛行場 普天間飛行場 9 陸軍南飛行場 牧港飛行場 牧港補給地区 10 陸軍東飛行場 与那原飛行場 1959年返還 11 海軍小禄飛行場 那覇空港 (那覇海軍航空施設) 空自那覇基地 陸自那覇駐屯地 米軍が建設したカブ飛行場 (小飛行場) 米軍は1945年の沖縄戦当時、沖縄に20ものカブ飛行場を建設した。 米軍が建設した小飛行場現在1 ビーズリー飛行場 (本部補助飛行場) 2 ハンビー飛行場 (キャンプ瑞慶覧) 3 瑞慶覧飛行場 (キャンプ瑞慶覧) 4 奥間飛行場 (奥間レストセンター) 5 福地飛行場 (糸満市) 6 宮里飛行場 (名護市)
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