ギリシャ独立戦争と首都ナフプリオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/23 06:12 UTC 版)
「ナフプリオ」の記事における「ギリシャ独立戦争と首都ナフプリオ」の解説
1821年、オスマン帝国支配下のギリシャで独立戦争が始まった。ナフプリオはオスマン帝国軍の拠点であり、テオドロス・コロコトロニス(英語版)らの率いるギリシャ軍と、二つの要塞に立て籠もるオスマン帝国軍が衝突した。1年以上にわたる包囲戦が繰り広げられたすえ、オスマン帝国軍は食糧が尽きたために降伏した。ナフプリオがギリシャ軍の手に帰すると、その強固な要塞ゆえに臨時政府の所在地となった。 ギリシャ共和国(ギリシャ第一共和政)の初代大統領に推戴されたイオアニス・カポディストリアスは、1828年1月7日ナフプリオに上陸し、はじめてギリシャ本土に足を踏み入れた。1829年、ナフプリオは正式にギリシャの首都と定められている(それ以前はエギナ島が独立派の中心的な拠点であった)。1831年10月9日、カポディストリアス大統領が暗殺されたのもこの町での出来事であった。カポディストリアスは、マヴロミハリス家 (Mavromichalis) の人々によって聖スピリドン教会で暗殺されたのである。 カポディストリアス死後の無政府状態は、バイエルン王国の王子オットーがギリシャ王国の国王オソン1世として1833年2月6日にナフプリオに上陸するまで続く。ナフプリオはそのままギリシャ王国の首都となったが、1834年にオソンは首都をアテネに移転した。
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