ギリシャ正教受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 15:06 UTC 版)
南スラヴ人とトルコ系であるブルガール人との融和を図るため、キリスト教の導入を考慮し、はじめギリシャ正教に帰依した(864年)。しかし、正教会の布教が自国の独立を脅かすことを恐れ、一時フランク王国と結ぼうとした(つまり、ローマ=カトリックに改宗しようとした)。しかしローマ教皇がブルガリア教会の独立に消極的であることを知り、コンスタンティノープル総主教の管理の下、ブルガリア大主教区の実質的な独立を得たために、結局870年にギリシア正教を採用した。その後国民に改宗を強制し、異教に固執した貴族は厳しく弾圧した。
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