ギリシャ植民市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:07 UTC 版)
「レッジョ・ディ・カラブリア」の記事における「ギリシャ植民市」の解説
「マグナ・グラエキア」も参照 レッジョは、クーマエに次いで、最も古いギリシャ植民市の一つである。紀元前730年もしくは紀元前743年、カルキスの住民がこの土地に入植し、エリュトラ近郊、パランティオンの近くに都市を築いた。都市は「王の岬」という意味を受け継ぎ、レギオン(Ρήγιoν / Rhégion)と名付けられた。 ギリシャ人の統治下、レギオンはマグナ・グラエキアのポリス(都市国家)となった。レギオンはマグナ・グラエキアの最も重要な都市の一つであり、支配者の変遷はあったが、紀元前5世紀から紀元前3世紀にかけて共和制であった。 紀元前737年から紀元前461年にかけて、レギオンを支配したのはメッセニア(現在のメッシニア)であり、紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて経済的・政治的な実力を強めた。僭主アナクシラス(在位: 紀元前494年 - 紀元前476年)は、対岸のザンクレ(現在のメッシーナ)を支配下に収めてレギオンによるメッシーナ海峡全域の支配を可能にし、エトルリア人やカルタゴ、シュラクサイ(現在のシラクサ)の僭主たちとわたりあった。 ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)に際してレギオンはアテナイと同盟を組むが、紀元前387年にシュラクサイ(現在のシラクサ)によって占領され、以後紀元前351年に至るまでシュラクサイに統治された。紀元前4世紀、シュラクサイの僭主ディオニュシオス2世の統治下で、この都市は短期間フェベア(Febèa)という名で記録されている。シュラクサイの後はカンパニアによる支配を受けた。紀元前278年には、都市を占拠してピュロスと同盟を結んだローマ反乱軍を、ローマ正規軍が包囲戦の末に破る戦いが発生した(レギオン包囲戦)。 レギオンは芸術都市として栄えて高度な文化的水準がある街だった。芸術・哲学・科学に関する学校(ピタゴラス学派のもの (it:Scuola pitagorica reggina) もその一つである)も置かれ、また高名な詩人・歴史家・彫刻家を輩出した。たとえば、イビュコス、レギオンのイッピュス (it:Ippi di Reggio) 、レギオンのピュタゴラス (Pythagoras (sculptor)) などである。ギリシャ時代の考古遺跡からの発掘物は、地元各地に展示されている。
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