ギリシャ王国の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:40 UTC 版)
ギリシャ独立戦争で成立したギリシャ王国では、オソン1世の首相イオアニス・コレティスが、1844年の憲法発布の際に「第三のローマ」に言及した。 これは独立後1世紀にわたり国政を独占したナショナリストの幻想であった。1844年に改めて宣言された理念は、オスマン帝国から解放されビザンツ帝国の領土を再建する夢を見続けてきたギリシャ人の、以前からの意識からきたものだった。 Πάλι με χρόνια με καιρούς, πάλι δικά μας θα 'ναι! (再び、長い年月の先に再び、これらは我々のものとなるのだ。) このギリシャ圏を再統一しようとするメガリ・イデアは、東ローマ帝国を再興し、ストラボンが記したギリシアの領域、すなわち西はイオニア海、東は小アジアや黒海、北はトラキア・マケドニア・エピルス、南はクレタ島やキプロス島に至る広大な領域を結集しようというものだった。究極的には、その新国家はコンスタンティノープルを首都とした「二つの大陸と五つの海(イオニア海、エーゲ海、マルマラ海、黒海、リビア海)にまたがるギリシャ」となるべきとされた。
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