国籍秘匿の潜水艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 22:30 UTC 版)
上記三船を攻撃した潜水艦について公式には今もって「国籍不明」とされているが、当時樺太にはソ連軍が侵攻していた上、アメリカ海軍やイギリス海軍の潜水艦は日本の降伏宣言を受けて国際法に則り軍事活動を停止し、同海域において軍事活動を行っていなかったために、事件直後からソ連の潜水艦であると推測されていた。 戦後、当時のソ連海軍の記録から旧ソ連太平洋艦隊第一潜水艦艦隊所属のL-19とL-12の2隻の潜水艦が留萌沖付近の海上で作戦行動に就いていた事が判明した。国籍を秘した潜水艦は魚雷で沈没した船から海に投げ出された人々に機銃掃射を行いとどめを刺した。[要検証 – ノート] 2007年(平成19年)、樺太の新聞『ソビエツキー・サハリン』の取材でサハリン州公文書館から公開された資料によると、ソ連は樺太に続き北海道北部を占領するため狙撃部隊2個師団による留萌への上陸作戦計画を立てていた。8月18日にアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンはヨシフ・スターリンに対して北海道占領を認めない旨の書簡を送った。 L-19潜水艦(コノネンコ艦長)、L-12潜水艦(シェルガンツェフ艦長)の2隻は留萌付近海上で偵察と敵艦攻撃の任務に就いていた。この作戦行動において3隻の船を攻撃、2隻を撃沈したと記録されている。作戦後、L-12潜水艦はウラジオストク軍港に帰還したが、L-19潜水艦は礼文島沖での通信を最後に行方不明となった。旧ソ連軍の公式記録では「L-19潜水艦は1945年8月23日、宗谷海峡にて機雷により沈没、乗員は全員戦死」となっている。
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