相次ぐトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:33 UTC 版)
『怪獣大作戦』は『怪獣王子』と改題され、こうして述べ1年かけて制作が行われた本作品だが、急ごしらえのプロダクションだけに、制作前からさまざまなトラブルに見舞われることとなった。 まず、中に演技者が2人入って動かす予定だった主役の恐竜「ネッシー」の20尺(6メートル)サイズのぬいぐるみが、造形者の大橋史典が凝り過ぎて肉厚を厚くして硬くし、さらに鉄骨を入れたため、全く動かないものになってしまった。急遽、東京から開米栄三と高山良策が呼ばれ、これを動きやすいよう改造し、新しく小型のネッシーが作られ、結局、怪獣造形は開米と高山が担当することとなった。この動かせないネッシーを撮影するために光学合成を使わざるを得ず、さらに予算が増加した。このため、スタッフは関西のデパートや福井の旅館で「ぬいぐるみショー」を開催して予算の穴埋めに努力した。このアトラクションのため、呼称が存在しない、高山曰く「ザンボラー型」といった怪獣のぬいぐるみが数体制作されている。 クランクインは、1966年(昭和41年)10月10日と決められ、撮影所ではスタッフ全員を集めての大橋社長のあいさつが行なわれた。ところが京都のスタッフで固めたかった大橋は、上島の揃えた東京のスタッフが気に入らず、この挨拶で船床定男監督を散々にこき下ろした。万座の席で侮辱された船床監督は涙を浮かべ退席する。この事態により宣弘社の西村俊一プロデューサーの手打ちによってスタッフは総入れ替えとなり、『マグマ大使』を担当していた土屋啓之助監督が船床監督と交代する形で本編監督となった。結局、本編は土屋が全話を監督することになっている。 配役ではタケル役に『忍者ハットリくん』(東映京都、NET)でハットリくんを演じた双子の子役野村光徳を据え、周囲にはベテラン俳優が配置されたが、父親役の及川広信はパントマイムが専門の舞台俳優で台詞を上手く喋れなかったため、中盤より仙波和之によるアフレコでこれを補っている。江島助手役の北浦昭義も、台詞に関しては全くの素人だったという。 本編撮影は京都で行われたが、ここでもトラブルが相次いだ。京都の土地柄、地元に「挨拶」なしではどこも撮影できず、相次ぐ嫌がらせでロケのストップが相次いだ。また現場スタッフも東京のスタッフを嫌う風土があり、軋轢も絶えなかった。上島の「怪獣造形さえできれば特撮はなんとかなるだろう」との考えで、特撮スタッフがまったくいなかったため、12月に入っても特撮部分は上がっていなかった。このため、東急側は急遽ピープロに助けを求め、特撮監督の小嶋伸介が作画技師の渡辺善夫とともに京都に入り、うしお社長は「日本特撮」の専務の肩書で出向、結局、特撮はピープロのスタッフが担当することとなっている。
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