相次ぐヒット作への出演とは? わかりやすく解説

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相次ぐヒット作への出演

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:12 UTC 版)

クリント・イーストウッド」の記事における「相次ぐヒット作への出演」の解説

1970年シーゲル監督作品の『真昼の死闘』でシャーリー・マクレーン共演した。この映画は、イーストウッド演じ流れ者ホーガンメキシコ第二帝政抵抗する革命派娼婦サラ描いた西部劇である。バッド・ベティカー書き上げた原案をアルバート・マルツ(英語版)が手を加えている。イーストウッド演じホーガンタバコ吸いベストを着るなど、彼の演じた名無しの男再現意図して設定されている。また、レオーネ映画模したヒスパニック系だが、彼の映画よりも粗悪冷淡に描かれている。サラ役は当初エリザベス・テイラーオファー出していたが、夫リチャード・バートン同行して他の映画の撮影スペインに行くことになっていたため、断られている。最終的にマクレーン起用されたが、サラメキシコ人設定だったため、スタッフたちは薄い肌の彼女に難色示したシーゲルイーストウッド同様に感じており、シーゲルは「彼女に暖かさ感じることは困難です。彼女はあまりにも素直で、とてもハードです」と不満を述べている。 撮影には4か月間かかり、製作費は400ドル投じられた。ニューヨーク・タイムズのロジャー・グリーンスパン(英語版)は、「私には、この映画素晴らしいかはわかりません。しかし、それは非常に良いものであり、教養のある映画がそうであるよう心に残る映画です」と批評した。スタンリー・カウフマン(英語版)は「古いハリウッド維持しようとする試み娼婦修道女変装できる場所。ヒーローは、ベストの下にダイナマイトの棒を隠し持つことができます全ての物語一つではなく二つキュートな仕上げをしています。それは『アフリカの女王』の西部劇版のようです」と批評している。また、ニューヨーク・タイムズの「ベスト映画1,000」の一本選ばれている。 同年にはテリー・サバラスドナルド・サザーランド共演した『戦略大作戦』でも主演務めた映画では、イーストウッド演じアメリカ軍兵士が、仲間と共にナチス金塊強奪するアクション・コメディとなっている。また、イーストウッド出演した最後のマルパソ・プロダクション非参加作品でもある。1969年7月からユーゴスラビアロンドン撮影が行われ、数百人のエキストラ爆薬などの危険な特殊効果導入された。映画クライマックスでは、ドル箱三部作エコー響きラロ・シフリン作曲したエンニオ・モリコーネ風の音楽が流れる中でティーガーI対決する映画高い評価を受けると同時に反戦感情認められRotten Tomatoesでは83%の支持率得ている。 1969年末から1970年初頭にかけて、イーストウッドシーゲルと共に白い肌の異常な夜』の製作を進めた。この映画は、ラングがトーマス・カリナン(英語版)の小説イーストウッド渡して映画化の話が進んだまた、イーストウッド女性好意の的となる物語出演した最初映画でもある。脚本マルツ担当していたが、内容巡りイーストウッド意見の相違があったため、クロード・トラヴァースが脚本改訂しマルツ別名義クレジットされた。シーゲルによると、映画は「セックス暴力復讐」をテーマとし、「男性骨抜きにする女性本能的な欲求」を扱っているという。映画カンヌ国際映画祭高い評価を受け、ピエール・リシエント(フランス語版)がフランス各地上映するように提案したが、イーストウッドシーゲル同意得たものの、製作側の合意得られなかった。映画は後にフランス各地公開されイーストウッド傑作一つ数えられている。しかし、アメリカでは振るわず興行収入100万ドル切った1970年7月21日イーストウッドの父が心臓発作起こし64歳急死したイーストウッド祖父92歳まで生きたため、父の死ショック受けたという。父の死は「イーストウッド人生の中で唯一の悪い出来事と言われ、彼はこれ以降飲酒控えフィットネスに励むなど体調管理注意払い緊張感をもって暮らすようになったこの頃イーストウッドショーン・コネリー後任としてジェームズ・ボンド役のオファー受けたが、「ジェームズ・ボンド英国人俳優演じなければならない」としてオファー断ったという。 1972年イーストウッドは『シノーラ』に出演した脚本エルモア・レナード担当し白人地主メキシコ人農民の荒そうに巻き込まれるガンマン活躍描いている。監督には『荒野の七人』のジョン・スタージェス起用され1971年11月からオールド・トゥーソン・スタジオ(英語版)で撮影開始されたが、同時期にロイ・ビーン』の撮影ブッキングしている。6月からはヨセミテ国立公園で湖のシーン撮影された。撮影中、「イーストウッドが馬アレルギーになり、気管支感染可能性があるなど健康状態芳しくない」という誤報流れた1973年イーストウッドジェフ・ブリッジスダブル主演となる『サンダーボルト』の製作に参加した映画アイディアはウィリアム・モリス・エージェンシーのスタン・ケイマンが考案したものだが、元々は『ダーティハリー2』のためにマイケル・チミノ描いたのだったイーストウッドベテラン犯罪者サンダーボルト役、ブリッジス若手泥棒ライトフット役でコンビ組み悪役にはジョージ・ケネディジェフリー・ルイス起用された。ワーナーフランク・ウェルズがマルパソが製作に参加することを拒否したため、イーストウッドユナイテッド・アーティスツ共同製作した。1974年公開され映画悲劇喜劇混ざり合った内容高く評価されイーストウッド自身も「今回演技オスカー賞受賞する価値がある」と確信するほどの自信持っていた。しかし、実際にオスカーノミネートされたのはアカデミー助演男優賞候補選ばれブリッジスのみであり、イーストウッド結果聞いて憮然としたという。興行収入も3,240ドル振るわずイーストウッドユナイテッド・アーティスツ製作手法に不満を感じ、「二度とユナイテッド・アーティスツとは仕事をしない」と激怒して契約していた2本の映画製作取り消している。 1978年に『ダーティファイター』に出演しコメディタッチ主役演じる。当初、ジェレミー・ジョー・クロンズバーグ(英語版)の脚本ハリウッド大手製作会社から相手にされず、マルパソの代理店映画化には難色示していた。イーストウッド秘書ジュディ・ホイトと、イーストウッド友人フリッツ・マネズを通して最終的にワーナー企画買い取るように説得している。ヒロインには恋人ソンドラ・ロック、主要キャストにはジェフリー・ルイス起用された。映画に登場する曲はスナッフ・ギャレット(英語版)が作曲している。映画当時イーストウッド出演映画の中で最高の収益上げ同時にそれまでキャリアの中で最も高い評価受けた舞台になったアルカトラズ刑務所撮影用に作られベンチ 1979年イーストウッド1962年発生したフランク・モリスアルカトラズ島脱獄映画化したアルカトラズからの脱出』に出演した脚本は、J・キャンベル・ブルースが執筆した小説に基きリチャード・タークル(英語版)が書き上げている。製作はマルパソが担当し監督にはシーゲル起用された。しかし、シーゲル映画を「自分作品」と主張して映画権利10万ドル買い取ったため、これをきっかけイーストウッドシーゲル決裂してしまう。最終的に映画は「シーゲルとマルパソの共同作品」という形で合意成立したが、シーゲルはこれ以降イーストウッド共同映画製作することはなくなった。舞台となったアルカトラズ刑務所50ドル費用をかけて復元され現地撮影されたが、署長室などの一部シーンスタジオで撮影されている。映画アメリカ国内だけで3,400ドル収益上げ批評家からも高い評価受けたタイム誌のフランク・リッチは「クール映画的優雅さ」、The New Republicのスタンリー・カウフマンは「映画結晶」と評価している。

※この「相次ぐヒット作への出演」の解説は、「クリント・イーストウッド」の解説の一部です。
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