ラロ・シフリンとは? わかりやすく解説

ラロ・シフリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 04:36 UTC 版)

ラロ・シフリン
(2006年7月7日、コンサートにて)
基本情報
出生名 Boris Claudio Schifrin
生誕 (1932-06-21) 1932年6月21日
出身地 アルゼンチン ブエノスアイレス
死没 (2025-06-26) 2025年6月26日(93歳没)
ジャンル ジャズ映画音楽ロックファンク
職業 ピアニスト作曲家指揮者
担当楽器 ピアノ、キーボード、シンセサイザー
公式サイト Official website
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ラロ・シフリン(Lalo Schifrin、1932年6月21日 - 2025年6月26日)は、アルゼンチン出身の作曲家編曲家ジャズピアニスト指揮者

映画音楽の代表作には『燃えよドラゴン』『ブリット』、『ダーティハリー2』、『ダーティハリー』、『シンシナティ・キッド』、『暴力脱獄』、『危険がいっぱい』、TVドラマ・シリーズの代表作には『スパイ大作戦』、『スタスキー&ハッチ』などがある。

生涯

本名は、ボリス=クラウディオ・シフリン。ブエノス・アイレス生まれ。父ルイス・シフリンはヴァイオリン奏者(Luis (Eliezer) Schifrin)で、ベラルーシからの移民であり、コロン劇場のオーケストラの第二ヴァイオリン部門を長く担当した。[1]6歳からピアノを習い始め、エンリケ・バレンボイム(ダニエル・バレンボイムの父)、次いで、アンドレア・カラリスに師事し、アルゼンチンの大学でクラシックを学んだ。ジャズにも傾倒していたが、1950年代初頭にパリに留学し、パリ国立高等音楽・舞踊学校で、オリヴィエ・メシアンシャルル・ケクランに師事した。

フランスで、ジャズ・ピアニスト、アレンジャーとしてキャリアを歩み始め、ヴォーグ・レコード、エディ・バークレー・レコードでラテン音楽のレコードを数枚録音した。[2]1950年代終わりに、アルゼンチンに帰国し、ジャズ・ミュージシャンとして活躍した。同じくアルゼンチン人であるガトー・バルビエリとも共演した。1958年に、ディジー・ガレスピーに出会い、ガレスピーのために、『Gillespiana Suite』を書き下ろした。1960年にニューヨークでガレスピーに再会し、ディジー・ガレスピー楽団のピアニストアレンジャーとして参加し頭角を現す。アメリカ移住ザビア・クガート[3]クインシー・ジョーンズ[4]などの楽団にも参加、自身のバンドでも活躍した。これらのビッグバンドでの活動では、ジャズのみならず、ラテンボサノヴァなどの要素も消化していった。

シフリンは、ヴァーヴに所属していたため、スタン・ゲッツ[5]カウント・ベイシー[6]サラ・ヴォーン[7]ジミー・スミス[8]ルイス・ボンファ英語版カル・ジェイダー英語版等の作品に参加した。ヴァーヴが、映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の子会社だったために、シフリンは、間もなく、MGMの映画作曲家となった。この頃からシフリンはハリウッドに移り住み、映画やテレビシリーズのために数々の曲を書くことになる。この時期の代表作には、『殺しのエージェント』『0011ナポレオン・ソロ』(挿入曲のみ)『暴力脱獄』などがある。[9]ほかにもアラン・ドロンの『危険がいっぱい』や、『シンシナティ・キッド』『ブリット』『マンハッタン無宿』『女狐』などの映画音楽を担当した。

特に有名なのはテレビドラマスパイ大作戦』(ミッション・インポッシブル)のテーマで、4分の5拍子を用いてダイナミックなサウンドを創り上げた。また、ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』では、派手なワウペダルを使用し、オリエンタルなアレンジを施した。[10]

その後も、『鷲は舞い降りた』(1976)、『ブールヴァード・ナイト』(1979)、ダーティハリー4(1983)などの映画音楽を担当した。ラロ・シフリンの曲は、松浦ヤスノブ、ピーター・ネロ、ジャン・ミッシェル・ベルナールらがカバーしている。映画音楽作曲家、ジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアと平行して、クラシック音楽の指揮者、作曲家としても活動し、『Invocations』『Concerto pour contrebasse』『Concertos pour piano Nos. 1 & 2』『Pulsations』『Resonances』といった作品を録音した。ホセ・カレーラスプラシド・ドミンゴルチアーノ・パヴァロッティといった、いわゆる「三大テノール」のツアーにも参加している。1994年第47回カンヌ国際映画祭で審査員を務めた。これまでにグラミー賞に21度ノミネートされ4度受賞。アカデミー賞は6度ノミネートされ、2018年にはアカデミー名誉賞が授与された[11][12]。晩年まで映画音楽の創作はもちろん、自身のアルバムを発表し活動していた。

2025年6月26日肺炎合併症で死去[13]。93歳没。

音楽担当作品

映画

テレビ

受賞歴


脚注

  1. ^ Lalo Schifrin Bio dougpayne.com 2025年8月6日閲覧
  2. ^ Lalo Schifrin edrmartin.com 2025年8月7日閲覧
  3. ^ マイアミ・ビーチ・ルンバなど、ルンバの王者的存在だったバンド・リーダー
  4. ^ 「鬼警部アイアンサイド」など、テレビ音楽、映画音楽を何度も担当している
  5. ^ ボサ・ジャズの「イパネマの娘」でのサックス演奏が有名
  6. ^ 代表曲に「ワン・オクロック・ジャンプ」などがある
  7. ^ 「ラバーズ・コンチェルト」は、ポップ・チャートでもヒットした
  8. ^ 「ザ・キャット」でも知られるオルガン・ジャズの有名ジャズマン
  9. ^ 「昭和39年の俺たち」2025年7月29日発売号 p.68
  10. ^ 「昭和39年の俺たち」2025年7月29日発売号 p.69
  11. ^ 米ガバナーズ賞、フランク・マーシャル&キャスリーン・ケネディ夫妻らが受賞”. 映画.com. エイガ・ドット・コム (2018年11月19日). 2018年11月23日閲覧。
  12. ^ a b #外部リンクの映像を参照。
  13. ^ Burlingame, Jon (2025年6月26日). “Lalo Schifrin, Prolific Film Composer Who Wrote ‘Mission: Impossible’ Theme, Dies at 93” (英語). Variety. 2025年6月27日閲覧。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

グラミー賞受賞者 ローリン・ヒル  アーニー・ディフランコ  ラロ・シフリン  ティンバランド  オスカー・ハマースタイン2世
アメリカ合衆国の作曲家 ガードナー・リード  アーニー・ディフランコ  ラロ・シフリン  ジミー・ジュフリー  ジョージ・フレデリック・マッケイ
アメリカ合衆国の音楽プロデューサー ジュニー・モリソン  リー・リトナー  ラロ・シフリン  ティンバランド  ポール・サイモン
アメリカ合衆国の映画音楽の作曲家 シャーリー・ウォーカー  レナード・ローゼンマン  ラロ・シフリン  マイケル・ケイメン  シュキ・レヴィ
アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト ジーン・ハリス  ブラッド・メルドー  ラロ・シフリン  マッコイ・タイナー  カーラ・ブレイ
ジャズ作曲家 川崎燎  ボブ・ミンツァー  ラロ・シフリン  ジミー・ジュフリー  シャメク・ファラー

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