相次ぐスキャンダル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:25 UTC 版)
大蔵は『一にスピード、二にもスピード、三はすなわちタイムイズマネー』の標語を撮影所内いたるところに張り出させ、黒塗りのキャデラックで部課長総出の出迎えを受けて出社。月に二回、箱根と熱海に「監督会」として監督たちを集めて宴会を開いた。女優を妾にし、近江俊郎に監督をさせる身内贔屓をしたり、「監督会」ではポンと祝儀をはずみ「**踊れ」と芸者扱いした。銀座のバーなどに女優を呼び、接待などもさせていた。 また前田通子、高倉みゆき、池内淳子ら新東宝専属の女優達に「エロ・グロ路線」のなか、他社には見られない扇情的な役柄を与えた。映画各社のなかで新東宝の興行は最下位となっていたが、興行成績の上位はすべて「エロ・グロ路線」だった。新東宝にはこの路線しか生き残る道は無かったのである。 もっとも大蔵が自社の女優を手当たり次第、物色していたため物議を醸していたことから、催眠術を操れた丹波哲郎は大蔵と会食した際、大蔵の愛娘に催眠術を掛けてやると持ちかけた。慌てて大蔵は止めてくれと頼んだものの、これは丹波が大蔵の公私混同する姿勢に、催眠術を掛けて逆に娘を物色するぞと皮肉ったものだった。 1957年、『金毘羅利生剣』で主演女優の前田通子が、加戸野五郎監督から「着物の裾をまくれ」と指示されこれを拒否。前田が志村敏夫監督と恋愛関係があったのが拒絶の理由とされるが、大蔵はこれに激怒。両者を即時に首にしている。この年9月19日には1億円を横領した嫌疑で警察から一斉捜査を受ける。大蔵は連日警察の厳しい取り調べを受けたが、結局一人の逮捕者も出さずに不起訴となっている。 1960年、高倉みゆきとの関係について「女優を2号(妾)にしたのではなく、2号を女優にしたのだ」と発言し、ワンマンぶりを誇示した。大蔵は土居通芳監督がお気に入りで、この土井監督、高倉両者での主演作が多く、この高倉の重用を妬む声はあったが、大蔵と高倉の関係については社内では知る者もいなかったという。
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