相次ぐ主要メンバーの検挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:31 UTC 版)
「チーム関西」の記事における「相次ぐ主要メンバーの検挙」の解説
上記のような活動の先鋭化に伴って警察による警戒の動きも強まり、2010年(平成22年)7月に大阪府警警備部が大阪水曜デモ妨害事件の参加者1名を逮捕したのを皮切りに、翌8月には京都府警警備部が京都事件の参加者4名を逮捕、さらに翌9月には徳島県警警備部が徳島事件の参加者7名(うち3名は京都事件と重複)を逮捕するなど、「四天王」を始めとする主要メンバーの検挙が相次いだ。 逮捕・勾留などより主要メンバーを欠いたことにより活動規模は縮小を余儀なくされ、活動の先鋭化もやや抑えられる結果となった。ただ同年12月には京都事件一周年を記念すると称して在特会・そよ風らと共同でデモを開催するなど、一定数の動員を伴う活動が途絶えたわけではなく、また2011年(平成23年)1月に起きた水平社博物館前差別街宣事件(以下「差別街宣事件」と呼称)のように過激な活動も一部では続けられていた。 起訴されたメンバーはいずれも2011年(平成23年)4月までにそれぞれの関与した事件について有罪判決を受けた。彼らのほとんどは活動の現場に復帰したが、主権会関西支部長の中谷辰一郎はこれを機に活動の第一線を退いた。また主権会も同年3月15日付で関西支部を解散させたため、チーム関西に対する主権会の影響力は失われた。同時期には在特会本部と日護会本部の間で民事訴訟や刑事告訴の応酬を含む激しい対立が発生し、日護会は在特会との共闘を拒否してチーム関西から撤退した。こうしてチーム関西における「扇の要」の役割はもっぱら在特会が担うことになった。
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