相次ぐ事故と引退までの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:16 UTC 版)
「Toshiba (サルミエント線・ミトレ線用電車)」の記事における「相次ぐ事故と引退までの経歴」の解説
前述の"PUMA"に代表される、車両のリニューアルなどの複数の施策は実施されたものの、TBAが所有していたサルミエント線・ミトレ線の電化施設の老朽化はTBAの施設の整備不足により、2010年代に入ると深刻なものになっており、ミトレ線では2010年にレティーロ・ミトレ - ホセ・レオン・スアレス系統のパレルモ駅付近で"PUMA V.2"が"Toshiba"に追突、サルミエント線では翌2011年のフローレス駅列車・バス衝突事故、翌2012年の「オンセの悲劇」、そしてTBAが運営権を失った翌年の2013年にはカステラール駅付近と再びオンセ駅で"PUMA V.2"が衝突する事故など、多数の死傷者を伴う重大事故が頻発していた。特に2012年の事故は老朽化とTBAの整備不良による車両のブレーキ故障と空気圧縮機の動作不良が引き金となって起きた事故とされた。 これらの事故の調査より、TBAは毎年、車両や設備の整備費用として多額の補助金を政府から受け取っていたが、実際にはすべての補助金が整備費に回されたわけではなく、最高責任者や幹部がドバイなどで豪遊旅行することにも使用されていたというデータも発見され、経営者のセルヒオ・クラウディオ・シリグリアーノ(スペイン語版)は実行判決を受けた。なお、2012年の「オンセの悲劇」については、当初の原因は運転士の口述より「("Toshiba"の空気圧縮機の動作不良に伴う)ブレーキ故障」とされていたものの、長期に渡る現場・実車検証により、事故当該車両の空気圧縮機およびブレーキは通常通り機能をしていたことが判明し、本当の原因は運転士の「操作ミス」であるという判定が多数の研究者により出され、当該の運転士は有罪判決を受けている。 これらの事態を受け、アルゼンチン鉄道運営組織(SOFSE、新アルゼンチン国鉄)により再び国有化が行われたサルミエント線・ミトレ線では、施設の改善・近代化と併せ、修理時に交換する部品が減り、一部車両を部品取りにしながら運用を続けてきた上に、短期間のうちに重大事故が相次いだサルミエント線においてメディアや一部の乗客がこれらの車両の老朽化に危機感を覚えたことを契機として、これらの"Toshiba"と"PUMA"4種類を中国南車(現・中国中車)製の"Chino"(チーノ、中国製の意)もしくは"CSR Mitsubishi"(セーエセエレ・ミツビシ)と呼ばれる最新型電車へ全面的に置き換える事が決定した。 2014年に最初の中国製電車の編成が登場以降、置き換えは急速に進められ、"Toshiba"は同年11月をもってサルミエント線の定期運用から離脱し、ミトレ線においても翌2015年1月に定期運用から離脱。"PUMA"もサルミエント線からは同年内に、ミトレ線もサルミエント線と同時に定期運用から離脱したものの、沿線にホームスタジアムが存在する、世界的なフットボール(サッカー)の強豪チーム、リーベル・プレートの試合開催日に同チームのサポーターを輸送するための臨時列車に使用するため、翌2016年まで現役を続けたが、同年内に全編成とも引退した。これにより"PUMA V.2"に連結された2階建て中間車両は登場から10年前後、"PUMA V.4"に連結された2階建て中間車両に至ってはわずか2、3から4年で運用を失う事となった。なお、"PUMA V.2"の2階建て中間車両を含む編成は2013年7月に上記の追突事故で一足早く運用から離れていた。2階建ての車両は引退後も車両基地の裏側にまとめて留置されており、資産として国が保有しているほか、車両基地の従業員の休憩所としても利用されている。 運用から離脱した車両は"PUMA"四種類も含めてブエノスアイレス州内各地の留置線に移動され、劣化が進み転用が困難な車両と不審火で車体と台枠が大きく損傷した車両の合計数十両は既に政府により解体、鉄屑として民間に売却されている。 運用を離脱し留置線へ移動したミトレ線の"PUMA V.1" "Toshiba"置き換え用に導入された中国南車製の電車"Chino"/"CSR-Mitsubishi"
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