ゲームプロデューサーとして
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「斎藤幹雄」の記事における「ゲームプロデューサーとして」の解説
1997年に『ときめきメモリアル2』の開発が着手されると、前作同様BGM作曲担当として開発に参加。しかし後に勃発した人事面のトラブルにより、急遽プロデューサー職を任命される。 その後は作曲家としての活動よりプロデューサー職がメインとなり、『ときめきメモリアル』シリーズにかかわり続ける傍ら、アーケードでヒットし家庭用に移植された『ダンスダンスレボリューション』シリーズも手がけるようになる。2000年には、その2作を融合させた『ときめきメモリアル2 Substories Dancing Summer Vacation』を送り出した。またこの頃、KCE東京の執行役員にも就任している。 しかし、前記『ときめきメモリアル2 Substories』や、2001年に発表した『ときめきメモリアル3 ~約束のあの場所で~』などがことごとく不振に終わり、KCE東京執行役員の座からも降りることになってしまった。『ときめきメモリアル Girl's Side』シリーズでも、1作目こそは斎藤がプロデューサーとして制作指揮に当たったが、2作目では別の人物(内田明理)にプロデューサーのポストを譲っている。 2005年2月、斎藤は『ときめきメモリアル』シリーズの新たな展開として、コミュニケーション重視のMMORPG・『ときめきメモリアルONLINE』を発表。2006年3月にサービスを開始し、「高校の在学期間に合わせて3年間はサービスを続けたい」という意気込みで望んだものの、相次ぐトラブルや不手際等から不振に終わり、翌2007年7月31日にサービス終了となっている。 2005年、KCE東京のコナミへの再統合に伴い、コナミに再移籍。さらに2006年3月にはコナミデジタルエンタテインメント設立に伴い、同社に移籍し現在に至る。
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