ゲームプロデューサーとしてとは? わかりやすく解説

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ゲームプロデューサーとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 05:17 UTC 版)

斎藤幹雄」の記事における「ゲームプロデューサーとして」の解説

1997年『ときめきメモリアル2』開発着手されると、前作同様BGM作曲担当として開発参加。しかし後に勃発した人事面のトラブルにより、急遽プロデューサー職を任命されるその後作曲家としての活動よりプロデューサー職がメインとなり、『ときめきメモリアル』シリーズかかわり続け傍らアーケードヒットし家庭用移植された『ダンスダンスレボリューションシリーズ手がけるうになる2000年には、その2作を融合させた『ときめきメモリアル2 Substories Dancing Summer Vacation』を送り出した。またこの頃KCE東京執行役員にも就任している。 しかし、前記ときめきメモリアル2 Substories』や、2001年発表したときめきメモリアル3 ~約束のあの場所で~』などがことごとく不振終わりKCE東京執行役員の座からも降りることになってしまった。『ときめきメモリアル Girl's Side』シリーズでも、1作目こそは斎藤プロデューサーとして制作指揮当たったが、2作目では別の人物内田明理)にプロデューサーポスト譲っている。 2005年2月斎藤『ときめきメモリアル』シリーズ新たな展開として、コミュニケーション重視MMORPG『ときめきメモリアルONLINE』発表2006年3月サービス開始し、「高校在学間に合わせて3年間はサービス続けたい」という意気込み望んだものの、相次ぐトラブル不手際等から不振終わり、翌2007年7月31日サービス終了となっている。 2005年KCE東京コナミへの再統合に伴いコナミに再移籍。さらに2006年3月にはコナミデジタルエンタテインメント設立に伴い同社移籍し現在に至る。

※この「ゲームプロデューサーとして」の解説は、「斎藤幹雄」の解説の一部です。
「ゲームプロデューサーとして」を含む「斎藤幹雄」の記事については、「斎藤幹雄」の概要を参照ください。

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