湘桂作戦
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第一大隊は、第37師団に湘桂作戦参加の命令の下される前の8月31日に武昌を出発、宝慶の攻略においては正面から攻撃する師団主力に呼応し、宝慶北東の資江を渡河し背後からの宝慶城攻撃を命じられた。9月27日渡河を開始、連隊は直接戦闘には加わらなかったが、10月3日宝慶城に入城し城内を掃討した。 桂林作戦のため、桂林南東の茘浦および陽朔付近の要衝の占領が企図され、10月26日第37師団に恭城・陽朔への攻撃発進が命ぜられた。10月28日竜虎関の麓に到着、恭城県城に入り陽朔へ向かう。陽朔では中国軍の抵抗はなくすんなりと入城できた。皆藤大佐指揮の連隊主力と山砲一個大隊は陽朔を占領した後桂林に向かった。11月10日桂林城を攻撃、同日桂林城は第58師団が占領、11月12日柳州へ向かう。 柳州には第37師団の司令部がおかれ、その南方地域に連隊の宿営地が設けられた。ここで1ヶ月近くの休養をするが、休養中第一大隊には大きな出来事があった。大隊長の佐藤大尉が少佐に昇進し隊を離れ(発令は11月10日)、後任の大隊長には大窪春吉少佐が就任したのである。また第一中隊長の太田中尉も12月1日付けで大尉に昇進した。師団は大陸打通を達成し12月19日付けで印度支那駐屯軍戦闘序列に編入された。
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