レディバード号事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:35 UTC 版)
「レディバード (砲艦)」の記事における「レディバード号事件」の解説
1937年12月12日早朝、「敵の大型船5隻、敗残兵を満載して上流に向かって逃走中」という報を受け、野戦重砲兵第13連隊(橋本欣五郎大佐)は、朝霧の中、船団を射撃したが、その中に本艦が含まれていた。 松井石根大将の宣誓口述書によると「12月11日頃、中国軍は大小の船舶に乗じて揚子江を退却中にして、中には偽りに外国国旗を掲揚するもの少なからざりしにより、第10軍司令官・柳川中将は退却兵を乗せたる船舶はこれを砲撃すべしと命じたる・・・・。橋本大佐は12日朝、濃霧中揚子江を航行中の数隻を認め、これを砲撃したるに、たまたまその中にレディバード号ありたりとのことなり」 その後地中海に移され、バルディア砲撃やアブステンション作戦などに参加した。 1941年5月12日にトブルクで空襲にあい、ドイツ軍のJu 87急降下爆撃機の攻撃で損傷して着底したが、艦の上部は海面から出ていたため、その後も7.6cm砲やポンポン砲が対空砲として利用された。
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