弁護側反証
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検察側立証が終了すると、弁護団は1947年(昭和22年)1月27日、公訴棄却動議を提出し、デイヴィッド・スミス弁護人はアメリカ連邦裁判所への提起も考えているとのべた(判決後に提訴。広田判例を参照)。同年2月24日、弁護側反証が開始された。 弁護人による被告別動議は次の通り。内容欄のソートボタンで元の順序に戻る。 被告弁護人内容あらき/荒木貞夫 ローレンス・マクマナス 01/1928年に共同謀議に参加したと検察は主張するが、満州事変勃発時に陸相ではなかった。荒木による残虐行為の証拠は提出されていない。 といはら/土肥原賢二 フランクリン・ウォレン 02/戦争の共同謀議時期には常に出先軍で上官の命令に服していた。残虐行為の証拠は提出されていない。 はしもと/橋本欣五郎 E・ハリス 03/満州事変勃発時には参謀本部ロシア班長、日支戦争勃発時には民間人であった。桜会が共同謀議の一部であったことは証明されていない。残虐行為の証拠は提出されていない。1937年のレディバード号事件は錯誤によるもの。 はた/畑俊六 アリスティディス・ラザラス 04/戦争勃発時には政府諸機関と無関係。中支那派遣軍に着任したのは南京陥落から2月後で、南京はすでに平穏だった。 ひらぬま/平沼騏一郎 フランクリン・ウォレン 05/共同謀議に無関係。中国での残虐行為で起訴されたが証拠がない。 ひろた/広田弘毅 デイヴィッド・スミス 06/南京事件の責任を問うことが「奇妙」である。広田内閣中、日本は平和で、広田が「自存自衛の戦い」と述べたこともない、広田の起訴自体が大なる誤算。 ほしの/星野直樹 ジョージ・キャリントン・ウィリアムス 07/一官吏にすぎない。告発された内容は満州への外資導入計画を誤解したものである。 いたかき/板垣征四郎 フロイド・マタイス 08/満州事変時は本庄繁関東軍司令官や軍中央に従った。広東や漢口での「殺人」時に陸相だったというだけで刑事責任を問うに不十分。シンガポールの残虐行為でも検察は「何らかの責任」があると述べたにすぎない。 かや/賀屋興宣 マイケル・レヴィン 09/専門行政官であり、広東や漢口での「殺人」時には蔵相を辞している。開戦、残虐行為の責任はない。 きと/木戸幸一 ウィリアム・ローガン 10/満州事変時は内大臣秘書官長で共同謀議には参加せず。三国同盟に責任はない。内大臣は残虐行為を犯すべき地位にない。 きむら/木村兵太郎 ジョゼフ・ハワード 11/軍人としての義務以上をしていない。陸軍次官中の権限は陸相通達を各司令官に通達することのみ。1944年、ビルマ方面軍司令官に着任したとき、日本軍は敗走中で在任中に捕虜を管理した証拠はない。 こいそ/小磯國昭 アルフレッド・ブルックス 12/満州事変時は南陸相の命令と幣原政策に従って遂行した。太平洋戦争[大東亜戦争]は自衛的合法戦争と理解する。首相には捕虜の扱いに介入する権能はない。 まつい/松井石根 フロイド・マタイス 13/中支那方面軍司令官として軍中央の命令で南京攻撃を遂行したにすぎない。作戦中は蘇州で執務し、偶発的残虐行為について問責できる証拠はない。 みなみ/南次郎 アルフレッド・ブルックス 14/満州事変時は陸相として事件不拡大に努めた。日本の陸軍大臣の権限は非常に制約されており、海外派兵上奏権を持つのは参謀総長である。 むとう/武藤章 ロジャー・コール 15/命令を実践に移すことが任務だった。捕虜に関係する陸軍省の証拠は歪曲されている。スマトラ近衛師団長在任中、捕虜は正式の命令系統以外で取り扱われたので、武藤に責任はない。 おか/岡敬純 フランクリン・ウォレン 16/真珠湾攻撃時、政策決定者ではなかった。捕虜処遇について命令権限を有した証拠もない。 おおかわ/大川周明 アルフレッド・ブルックス 17/告発された行動を可能にする地位になく、著書で個人的野望や犯罪的意思を唱道してもいない。満州事変関連証拠は風説的である。 おおしま/大島浩 オーウェン・カニンガム 18/政策立案者、軍司令官になったこともない。通常、外国使臣の訴追は禁じられている。ドイツ在勤中、日本政府の指令なしに交渉したことはない。 さとう/佐藤賢了 ジェイムズ・フリーマン 19/真珠湾攻撃時、一課長にすぎず、戦争計画に参加できる地位ではなかった。1942年4月以降、軍務局長として俘虜収容所を管轄したと検察は告発したが、管轄は陸相である。 しけみつ/重光葵 ジョージ・A・ファーネス 20/日支平和維持に努めた。ソ連検事が証拠もなしに主張したような、張鼓峰事件交渉でソ連領土を割譲せよと求めた事実はない。駐英大使在任中は三国同盟交渉に関与していない。捕虜問題に関する外相の権限は、政府間文書を仲介することだけである。 しまた/嶋田繁太郎 エドワード・マクダーモット 21/真珠湾攻撃50日前に海相に就任したが、会議に参加したのは3回だけで、それ以前は軍令系統の地位になかった。残虐行為について海軍省は出先の艦隊司令官を統制できない。また海軍所管の俘虜収容所での非行は立証されていない。 しらとり/白鳥敏夫 チャールズ・コードル 22/外務省情報局長どまりの職業外交官で、満州事変時は幣原外相の侵略阻止方針に協力した。イタリア外相の日記を証拠に三国同盟を無条件受諾しなければ内閣を総辞職せしめと脅迫したと検察は主張したが、白鳥は1940年1月に大使解任されているし、また大使辞任で内閣総辞職とは荒唐無稽。 すすき/鈴木貞一 マイケル・レヴィン 23/日支戦争勃発時には大佐だった。総動員計画は1941年に企画院総裁に就任する前からほぼ成立していた。 とうこう/東郷茂徳 ベン・ブルース・ブレイクニー 24/外務省は捕虜管理に責任はない。陸軍の照会や抗議を通達しただけである。天皇から日米和平交渉を命じられ努力した。対米通告は駐米大使に攻撃前の手交を訓令しており、結果的に手交が遅れた責任はない。 とうしよう/東條英機 ジョージ・ブルウェット 25/共同謀議、残虐行為について法的証拠がない。 梅津美治郎 ベン・ブルース・ブレイクニー 26/支那駐屯軍司令官在任中の梅津・何応欽協定締結を告発されたが、それは参謀長の仕事であり、協定は騒動を抑える了解にすぎない。関東軍司令官就任はノモンハン事件終了の1週間前でこの事件に責任はない。ソ連検事の告発は「不在証人の集積」である。
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