捕虜の扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 16:36 UTC 版)
辻政信による前述の偽命令の虐殺以外に、(すべてではないが)捕虜に対する行進前・行進中の非人道的行為が殺害も含めて行われたことが、以下の様に日本側・アメリカ側の記録に残る。行進中については、トラックで運ばれた者や行進の先頭にいた者以外に対して虐待行為があったと言われる。 この背景として、日本側に捕虜になることを恥ずべきものとする考えがあり、降伏した米兵を軽侮する考えがあった。日本兵は、軍隊内の部下への暴力的制裁が習慣的に行われていたため、軽侮の対象である捕虜に対しても暴力を振るい、殺害した例もあるとされ、実際にその過酷さは生存捕虜の複数の証言で述べられており、日本の軍人の証言でも記録に残っている。また、捕虜への暴力の原因については、行進中に早く歩けなどの日本兵の命令を聞かなかったときであり、捕虜の証言ではさしたる理由のない場合であったという。 行進中の捕虜の待遇は部隊によって異なるとみられるものの、捕虜は「食糧や飲料水の提供は非常に少なく、灼熱のなか休みも殆どなく歩かされ」て、「夜は収容可能人数の倍の人数で倉庫に押し込まれて」「用便も立っている場所で行われざるを得なかった」と証言される。 収容所にたどり着いたのは、捕虜となった約7万6千人の内、約5万4千人で、約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労などで死亡したものと見られている。米軍の死亡者は2300人と記録されている。監視の日本兵は少なく、逃亡は容易だったとされる。フィリピン人の場合は、現地の民衆の間に紛れ込めばわからないので、ほとんど脱走者であり、報告は死亡と報告していたと言われている。 行進中の小休止。捕虜は手を縛られている。 このプロパガンダポスターで示す様に、このニュースは米国民を激怒させた。示される新聞切り抜きは、バターン死の行進に言及する。ポスターには「殺人者ジャップが全滅するまで手を休めるな」と書かれている。 死の行進の犠牲者を埋葬する様子として報道された写真だが、実際は行進から数週間後に収容所にて撮られた、米兵の遺体を埋葬する様子。 バターン死の行進で死亡したアメリカ・フィリピン兵捕虜 バターン半島の戦いにちなむアメリカ海軍の戦闘艦 航空母艦バターン(USS Bataan, CVL-29) 強襲揚陸艦バターン(USS Bataan, LHD-5)
※この「捕虜の扱い」の解説は、「バターン死の行進」の解説の一部です。
「捕虜の扱い」を含む「バターン死の行進」の記事については、「バターン死の行進」の概要を参照ください。
- 捕虜の扱いのページへのリンク