赤十字設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 08:05 UTC 版)
1863年、デュフールはアンリ・デュナンと出会う。中立的な国際救護団体の設立を訴えるデュナンにデュフールは共鳴し、同年デュナン、デュフール、ギュスターブ・モアニエ、ルイ・アッピア、テオドール・モノアールは5人委員会を設立。デュフールは初代委員長に就任した。これが1876年に赤十字国際委員会となった。さらに委員会は戦争時の捕虜の扱いを人道的にするよう各国に求め、1864年「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(第1次ジュネーヴ条約)がジュネーヴにて締結された。この締結の際、これらの条約締結に対するスイスの貢献が認められ、新しい機関のマークはデュフールがスイス軍旗として取り入れたスイス国旗の配色を逆にした白地に赤い十字と決められた。 1867年、デュフールは連邦政府の役職から完全に引退し、ジュネーヴで隠棲生活を送った後、1875年7月14日に同地で亡くなった。
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