アメリカ赤十字社とは? わかりやすく解説

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アメリカ赤十字社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 12:51 UTC 版)

American Red Cross
設立 1881年5月21日
設立者 クララ・バートン
法的地位 Instrumentality of the United States and a body corporate and politic[1]
目的 人道援助
本部 ワシントンD.C.
アメリカ赤十字社全国本部英語版
貢献地域 アメリカ合衆国
社長 ゲイル・J・マクガバン英語版[2]
主要機関 理事会
予算(2017年) 27億1419万米ドル[3]
ウェブサイト www.redcross.org
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アメリカ赤十字社(アメリカせきじゅうじしゃ、: American Red Cross)は、アメリカ合衆国における赤十字社。同国において緊急援助、災害救援、災害準備教育を提供する。国際赤十字赤新月社連盟に設立当初より加盟している。

「society」の語がないので、「赤十字」は誤り[要出典]

歴史および組織

設立者たち

ワシントンD.C.にあるアメリカ赤十字全国本部英語版庁舎は国定歴史建造物に指定されている。

1881年5月21日、クララ・バートンにより、ワシントンD.C.で設立された。初代社長にはバートンが就任した。同年5月12日、バートンはオマー・D・コンガー英語版上院議員(ミシガン州選出、共和党)邸で会合を開いた[4]。この会合には、バートン、コンガー、および後に初代副社長となるウィリアム・ローレンス英語版下院議員(オハイオ州選出、共和党)を含む15名が出席していた[5][6]。最初の地方支部は、1881年にニューヨーク州ダンズビルのイングランド福音ルーテル教会 (English Evangelical Lutheran Church of Dansvilleで設立された[7]

1910年1月20日、ジェーン・デラノ英語版 (1862–1919) により、アメリカ赤十字看護部英語版が設立された[8]

クララ・バートン

クララ・バートン (1821–1912) はスイスのジュネーブで赤十字の存在を知り、そのアメリカ支部を設立した。1869年に渡欧したバートンは、普仏戦争期に国際赤十字の業務に従事することとなり、赤十字という組織をアメリカに持ち帰ることを決意した[9]

アメリカ赤十字社の設立者クララ・バートン

バートンは、1881年5月にワシントンで設立されてアメリカ全国赤十字 (American National Red Cross) の名で知られるようになる、赤十字社のアメリカ支部の代表となった。バートンと縁があったニューヨーク州北部で最初の支部が設立された[10]。最終的にジョン・D・ロックフェラーと他の4名が献金して、ホワイトハウスの近くに全国本部を設けるのを手助けした[11]。バートンが赤十字のアメリカ支部あるいは全世界の赤十字ネットワークを設立しようと努めていたところ、高名な奴隷制廃止論者でバートンの友人であったフレデリック・ダグラスが助言と支援を申し出た。また、ダグラスはコロンビア特別区の捺印証書登録官として、アメリカ赤十字の定款の原本に署名した。

バートンは、アメリカ赤十字が設立して初の大規模な災害救援活動の取り組みの一つとなった、1881年9月4日から6日にかけてミシガン州サム地域で発生したサム大火英語版への対応を率いた。この大火で、5000人以上が住む家を失った。その次の大きな災害はジョンズタウン洪水で、1889年5月31日に発生した。ペンシルベニア州ジョンズタウン周辺で、2209人が死亡、数千人が負傷し、アメリカ合衆国史上最悪の災害の一つとなった。

進歩的改革

やがてバートンは自らが信用をおくスタッフを増強することができなくなり、基金調達も陰りが見られるようになった。ついに1904年にバートンは辞職させられた。プロの社会福祉事業の専門家たちが支配権を握り、組織を進歩主義時代の科学的モデルに改革した[12]。新たに指導者となったメーベル・ソープ・ボードマン英語版は、絶えず政府高官、軍高官、ソーシャルワーカー、大資本家に意見を求めた。とりわけウィリアム・ハワード・タフトは強い影響力を持っていた。彼らが負わせた「管理主義」的な気風により、組織はバートンの個人崇拝から拡大に備えた「組織的人道主義」へと変貌を遂げた[13]

進歩主義時代の著名な災害の中で、赤十字の関与が大きく取り上げられたのは、1912年のタイタニック号の沈没事故でのことであった。ニューヨーク市支部はイギリスの慈善組織協会と協力して、事故の生存者と惨死者の扶養家族に資金援助した[14]

血液事業

アメリカ赤十字はアメリカ合衆国で献血された血液のおよそ40%を供給しており、その血液は病院や地方の供給者に販売される[15]

脚注

出典

  1. ^ 合衆国法典第36編第300101条 36 U.S.C. § 300101
  2. ^ Leaders of the American Red Cross”. American Red Cross. 2011年8月22日閲覧。
  3. ^ American Red Cross 2017 Audit and Consolidated Financial Statements”. 2018年5月13日閲覧。
  4. ^ The Federal Charter of the American Red Cross Archived July 30, 2012, at the Wayback Machine., American Red Cross. Retrieved April 18, 2007
  5. ^ Everyone has a Ball at Rhapsody in Red 2001”. American Red Cross (2001年). 2001年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月10日閲覧。
  6. ^ McCormick, K. Todd A Brief History of Logan County, Ohio Archived February 25, 2006, at the Wayback Machine., Logan County Museum. Retrieved April 18, 2007
  7. ^ Cultural Resource Information System (CRIS)” (Searchable database). New York State Office of Parks, Recreation and Historic Preservation. 2015年11月1日閲覧。
  8. ^ Haug, Hans; Gasser, Hans-Peter; Perret, Françoise; Robert-Tissot, Jean-Pierre; Henry-Dunant, Institut (1993). Humanity for all : the International Red Cross and Red Crescent Movement. pp. 261. ISBN 978-3-258-04719-5 
  9. ^ The Story of My Childhood”. World Digital Library (1907年). 2013年10月9日閲覧。
  10. ^ Marks, Mary Jo. “Clara Barton in Dansville, 1866 and 1876–1886”. Dansville Historical Society. 2009年7月1日閲覧。
  11. ^ “Article”. Cheney Sentinel (Cheney, Washington): p. 1. (1889年9月13日) 
  12. ^ Little, Branden (2013年8月). “Review of Jones, Marian Moser. The American Red Cross from Clara Barton to the New Deal”. H-SHGAPE, H-Net Reviews. 2015年10月27日閲覧。
  13. ^ Moser Jones, Marian (2013), The American Red Cross from Clara Barton to the New Deal, pp. 117, 137 
  14. ^ Cimino, Eric (Spring 2019). “Walking Titanic's Charity Trail in New York City: Part One”. Voyage: Journal of the Titanic International Society 107: 109–110. https://www.academia.edu/38628387. 
  15. ^ Murphy, Heather (2006年9月11日). “Does the Red Cross sell blood?”. Slate.com. 2012年3月8日閲覧。

外部リンク


アメリカ赤十字社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 11:05 UTC 版)

クララ・バートン」の記事における「アメリカ赤十字社」の解説

バートンは、18651868年体験元に全米講演開き広く知られる存在となった。そして、公民権運動家のスーザン・B・アンソニーなど、色々な人たちと会い影響受けた。しかし、そういった活動の中で精神的に肉体的に疲労し医者から現在の仕事離れむように言われた。バートン1868年Missing Soldiers Office閉鎖しヨーロッパ渡った1869年スイスジュネーブ訪れていた時、赤十字と、後にアメリカ赤十字設立支援者となる Dr.アッピア紹介された。また、中立的な立場自発的な救援提供する国家団体設立各国家における赤十字設立)を呼びかけアンリ・デュナンの「ソルフェリーノの思い出」という本も勧められた。 1870年に、普仏戦争始まりバートン従軍看護師として参加したバートン軍事病院準備を行うバーデン大公妃を補佐し戦時中赤十字社多く援助行ったドイツ当局などの支援要請受けて多く活動行った戦争後バートンバーデン金十字とプロイセン鉄十字勲章授与された。 アメリカ帰国後、1873年アメリカ赤十字設立する活動開始したラザフォード・ヘイズ大統領との会談失敗したものの、その後チェスター・A・アーサー大統領政権に、戦争だけでなく自然災害でも救助する組織の必要を訴えかけ、その説得成功した1881年5月21日ワシントンD.C.のI Streetアパートでアメリカ赤十字社の最初の公式会合開催され会長就任した1882年8月22日に、ニューヨーク州リビングストン郡ダンスビルに最初支部設立された。その後アメリカでおこった災害戦争多く貢献行い、またトルコなどにも支部開設し1896年春にアルメニア人虐殺への人道支援バートン自身同行した1898年バートンキューバ病院働いていたが、すでに78歳であった1900年のガルベストン・ハリケーン災害後救援活動が、アメリカ赤十字社会長として最後の仕事であった1904年公私混同批判によって、83歳で米国赤十字社会長辞任強いられたバートン理想主義的な人道主義ではなく進歩的な時代現実的な効率性反映した全世代科学的専門家新世代によって辞任余儀なくされた。 辞任後バートンNational First Aid Society設立した

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