陽明丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 07:51 UTC 版)
大正7年(1918年)、ロシア革命後の内戦から逃れる為、4歳から18歳ぐらいまでの子供たち約800人が難民となり、ウラジオストクでアメリカ赤十字社に保護されていた。さらに戦火が及ぶことを心配したアメリカ赤十字社からの要請により、日本の貨物船が子供たちの受け入れを決めた。その船が勝田汽船所有の『陽明丸』であった。 陽明丸は貨物船だった為、勝田銀次郎が多額の改造費を寄付して子供たちが航海できる客船仕様に改造された。 陽明丸(船長:茅原基治)は大正9年(1920年)7月、ウラジオストクまで子供たちを迎えに行き、太平洋と大西洋を約3か月かけて航海した後、フィンランドへ送り届けた。子供たちは同年10月、無事に故郷のペトログラードへ戻ることができたという。2014年、日本で開かれた「第2回日本・ロシアフォーラム」にて、森喜朗元首相等の講演でも「陽明丸」は取り上げられ、ロシアの下院議長らに伝えられた。
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