陽明学の素養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 14:09 UTC 版)
江戸幕府は儒学のうち仏教の影響を受けた朱子学を基礎として奨励したが、唯心論的教義によって文武両道を説く陽明学の方が日本人には受け入れやすく人気が高まり、やがて陽明学が主流となっていった。 当時、満福寺では空海の開いた学校「綜藝種智院」の教義に則り真言宗と儒学を教えていた。「内典(密教)と外典(儒教)の目指す方向は同じ、到達点も同じである」とされ、満福寺においても儒学は必須科目の一つであった。満福寺歴代住職の中でも、弘元と弘実は「綜藝種智院」の理念に基づき、学問を志す若者に、特に儒学(陽明学)を身につけさせることに力を注いだ。弘実が住職を継いだころ、自から儒学の本81冊を購入。『書経』、『四書』をはじめ『老子』、『荘子』、『韓非子』、『荀子』、『春秋左伝』、なども揃えられた。
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